ドラガン・ストイコビッチの名言
きっと100人いたら99人の選手はアーセナルに行くかもしれない。もちろんあなたやアーセナルをリスペクトしている。でも私は誰よりも家族を尊重したい。
ドラガン・ストイコビッチ(サッカー)
1996年9月末、名古屋グランパスエイトを去るアーセン・ベンゲルに対して、ピクシーが口にした言葉だ。下位に低迷していた名古屋を一躍優勝争いできるクラブにまで押し上げたタイミングで、ベンゲルはアーセナルからの就任オファーを受けた。智将はストイコビッチを連れ添ってロンドンへと渡ることを希望し、ベルカンプやアネルカらとどう“共存”するかのプランを提示したという。しかしピクシーの返答は「NO」だった。その理由として「子どもたちはすでに名古屋で学校に通い始めていた。そこでまたすぐにロンドンに行って新しい生活をする。それは家族にとって難しいことだった」と明かした。「私は父であり、夫であった」。ピッチだけでなくプライベートでも強い芯を持っていたのだ。
Number973号(2019/02/28)
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