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“東のユタカ”1年3カ月ぶり復帰と
北村宏司の落馬。騎手が背負うもの。 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2019/03/08 07:30

“東のユタカ”1年3カ月ぶり復帰と北村宏司の落馬。騎手が背負うもの。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

3月2日、吉田豊は3歳未勝利戦に出走したミヤビペルラに跨った。1年以上のブランクを取り戻せるか。

“東のユタカ”として全国区。

 その後、メジロドーベルとのコンビではオークスやエリザベス女王杯連覇など、GIを計5勝もした。

 この活躍が名刺代わりとなり、吉田豊騎手は“東のユタカ”としてすっかり全国区となった。

 1998年、スプリンターズSではマイネルラヴで短距離王者タイキシャトルを破りアッと言わせた。2002年、スマイルトゥモローを樫の女王に導いたのは、自身2度目のオークス制覇だった。'04年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズを、'08年にはブルーメンブラットでマイルチャンピオンシップを制し、ここまで重ねてきたGI勝ちは9つとなった。

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 自厩舎のメジロダーリングでの香港遠征やリージェントブラフでのドバイ遠征、また、単身フランスへ飛び、現地で修行をした事もあった。

 '15年には師匠の大久保洋吉調教師が定年となり厩舎を解散したが、この日を迎えるまで吉田豊騎手はフリーになることなく、師匠の下で馬に乗り続けた。

 そんな義理堅い性格を応援する馬主や調教師も多く、勝ち星を積み重ねた。'17年10月14日にはアポロナイスジャブで1着。これがJRA通算1200勝目。史上23人目の記録達成となる勝利だった。

頸椎骨折で2018年は騎乗なし。

 ところがそれから2カ月と経たない同年12月9日に悲劇が起きた。

 この日、中山競馬場で行われた2歳新馬戦に騎乗したところ、騎乗馬が4コーナーで急激に逃避。バランスを崩した吉田豊騎手は落馬して馬場へ叩きつけられた。

 頸椎骨折の大怪我となった。

 それからは治療とリハビリの日々が続いた。2018年の1年間は1レースも乗れないまま、終わった。

「長かったです」

 しみじみとそう語って戻ってきたのが冒頭に記した3月2日の競馬だった。

【次ページ】 「何はともあれ無事に戻って」

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#北村宏司

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