One story of the fieldBACK NUMBER
ソフトバンクはなぜ勝ったのか。
「強さ」と「恐怖」の相関関係。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2018/11/06 11:30
非情采配だったとしても、勝負師としての工藤公康監督の采配にブレは無かった。
野球を超えた、根源的な「恐怖」。
エース千賀滉大を5回途中で降ろし、内川聖一にバントを命じ、2日前に打たれたセットアッパー加治屋蓮を持ち場から外し、ストッパーの森唯斗を8回2死から投入した。
まるで何かに追われているかのように、妥協なく勝つことにしがみついた。つい昨年日本一になった監督が、である。
シリーズ中、関係者からこんな声も聞いた。
「内川と松田がスタメンから外れた時のベンチはめちゃくちゃ、ピリピリしているらしい……」
なるほど、と思う。
工藤監督を鬼にしたのも、レギュラーを確約されない立場になった内川や松田宣浩をピリピリさせたのも、「恐怖」ではないだろうか。
それは、相手に負けるかもしれない、失敗するかもしれないというような生易しいものではなく、もっと人間にとって根源的な、「明日、自分はここにいられないかもしれない」「職を失うかもしれない」という類のものだ。
「恐怖」か「家族」か?
大竹の涙に戻る。
あれは悔し涙に違いないだろうとは思う。悔しくて、不甲斐なくて泣けた。ただ根底には、想像を絶する競争の中からプレーオフのマウンドにまで這い上がった育成選手にとって、たった1度の失敗でその座を失ってしまうかもしれないという恐怖があったのではないだろうか。
もちろん、広島の市民球団にも生存競争はある。ただ、今シリーズにおいては「家族」を合言葉に戦うカープと、ホークスとでは、そういう部分において、あまりに対照的に見えた。
その対比も、平成最後の日本シリーズをここまでおもしろくした一因ではないか、と考えている。