ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
わずか2年8カ月で歴史を変えた男。
輪島大士はプロレス界の触媒だった。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2018/10/16 16:30
1988年にプロレスを引退した後は、バラエティ番組でも人気を博した。輪島大士はどこでも輪島だった。
勲章はなくても、存在感は巨大だった。
新日本にカムバックした長州は、その後、現場監督としてドーム興行を連発する'90年代の黄金時代を築いた。
革命に立ち上がった天龍は、押しも押されもせぬトップレスラーとなり、“ミスター・プロレス”と呼ばれるようになる。
そして、顔面蹴撃事件で新日本を解雇された前田は、'88年に新生UWFを旗揚げして、社会現象と呼ばれたブームを巻き起こした。
また、輪島を入団させた全日本は、相撲協会との関係から両国国技館が使えなくなり、その代わりにビッグマッチの会場として日本武道館が定着。'90年代に三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明の“四天王プロレス”によって、武道館が全日本の聖地となった原点にも、輪島の存在があったのである。
1988年12月、輪島は引退式も行わずひっそりとマット界に別れを告げた。引退の理由は「体力の限界」。
わずか2年8カ月のレスラー生活の中で、“勲章”となるものを残すことはできなかった。しかし輪島が加わることで、プロレス界全体に劇的な化学反応が起こった。それが'90年代の黄金時代をもたらすこととなる。
輪島大士という存在は、プロレス界にとって偉大なる“触媒”だったのだ。