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宮本ガンバ残留へのラストピース、
アデミウソンを蘇らせた名医とは。
posted2018/10/12 10:30
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph by
J.LEAGUE
必ずしも恵まれているとは言い難い戦力の中で、宮本恒靖監督は難解なパズルに取り組むように理想のフォーメーションとその顔ぶれを模索し続けてきた。
「選手も本来持っているコンビネーションとか、距離感を思い出し、いいボールの動かし方もあった」と指揮官が手応えを口にした9月15日の神戸戦の後半以降、一貫して4-4-2のフォーメーションで戦い続けているガンバ大阪。
「最高の11人」を見出した宮本監督にとっての悩みは、攻撃でギアを上げられる選手の不在だった。
チームは現在、5連勝と勢いに乗っているが、逆転勝ちは神戸戦のみ。宮本監督は先手を取った際に試合をクローズするカードをいくつか持つ一方、点を取りに行く際のオプションは、脆弱と言わざるを得ないのが現状だ。
広島戦では交代を引っ張ることに。
「(先発メンバーを)引っ張らざるを得なかったところはある」
若き知将の苦しい胸の内が透けて見えたのは4連勝を懸けた広島との一戦である。
当時首位を走っていた広島に対して、がっぷり四つの展開で試合は推移。「こちらのボール支配率も高まり、どこで一刺しするか」と交代のタイミングを見据えていた宮本監督ではあったが、スコアレスで推移していた後半38分まで1枚もカードを切ることがなかった。
いや、正確に言うならば守備のバランスが崩れるのを恐れて、軽々に動けなかったのだ。
最初の選手交代からわずか1分後、ファン・ウィジョの決勝ゴールが飛び出し、ガンバ大阪は辛うじて広島を振り切った。
しかし、3試合連続で決勝ゴールを叩き出した韓国人エースは、この試合で受けた警告により、大阪ダービーは出場停止。絶対的エースを欠いて挑む大一番で、宮本監督がファンの代役として白羽の矢を立てたのがアデミウソンだった。