猛牛のささやきBACK NUMBER
小谷野栄一は引退表明後も全力で。
松坂世代とオリックスに送る感謝。
posted2018/10/04 07:00
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Kyodo News
引退記者会見を行った翌日の9月28日、オリックスの小谷野栄一は、ユニフォームを着て、舞洲の二軍施設にいた。10月5日の引退セレモニーに備えるため、数日間離れていたグラウンドに戻ってきた。
「今日が一番バッティングの調子がよかった。カハハハ」と、練習後、楽しそうに笑った。
「引退を伝えて以来、久しぶりに今日動いたんですけど、ノープレッシャーだからなのか、ホントによくて、『これこれ!』と思いましたよ。無欲だからなのかな。こうやって打ちたいとか、ヒット打ちたいとか、そんな欲が今何もないですから。この気持ちでやればよかったのかなと今頃気づかせてもらえました」
前日の記者会見では、引退を決断した理由をこう話していた。
「今年は心と体のバランスが今までにないぐらいズレてきたなと感じて、努力すればするほど、よりズレが大きくなった。打つ方も守る方も全部、『今までだったらこういうふうにできたのに』ということが多くなってきたので」
会見では、「自分の心はスッキリしていますし、次へのスタートという意味での"引退"」と、晴れやかな表情だった。
ただ、「悔しいのは福良さんを胴上げできなかったこと」と心残りも口にした。
救ってくれた福良監督の言葉。
小谷野の引退会見の2日前に、今季限りでの辞任が報じられた福良淳一監督は、日本ハム時代からの恩師だ。2014年のオフに小谷野がFAでの移籍先にオリックスを選んだのも、福良監督が当時オリックスのヘッドコーチを務めていたから。
その福良監督からの印象に残っている言葉を聞かれると、小谷野はこう答えた。
「『何分でもいいから、(グラウンドに)立ってみようか』という言葉。あの言葉のおかげでもう一度、野球選手を続けられたので」
小谷野は日本ハム入団4年目の2006年にパニック障害を患い、一時は外出できない状態となり、練習できない日々が続いた。しかし当時、日本ハムの二軍監督代行を務めていた福良監督は、フェニックス・リーグに小谷野を呼んだ。その時の言葉が、「何分でもいいから、立ってみよう。何かあったらすぐタイムかけてあげるから」だった。