大相撲PRESSBACK NUMBER
貴乃花はどこへ行くのか……。
角界で再び巻き起こる不信の渦。
text by
十枝慶二Keiji Toeda
photograph byTakuya Sugiyama
posted2018/09/26 17:00
記者会見では、愛弟子の行く末を心配する言葉を何度も発していた貴乃花親方。
貴乃花は大切なものを心得ているはず。
まずは叱り飛ばすかもしれない。
ゲンコツが飛ぶかもしれない。
しかし、その後にはきっと、頭を下げただろう。
「わが子」の罪は、「親」である自分の罪と受け止め、許しを請うただろう。3月場所中に、弟子の貴公俊が失敗をしでかしたとき、貴乃花親方はひたすら頭を下げ、寛大な処置を願った。その姿は、貴ノ岩の一件の時とは別の形で、「わが子」への愛情にあふれていた。
相撲界の伝統には、守るべきものと、変えていくべきものがある。相撲部屋や相撲協会全体を「家族」とみなし、愛情をもって力士を育んでいく伝統も、何があっても守るべきとは限らない。しかし、少なくとも貴乃花親方は、柱とするべき大切なものだと心得ている。そのことは、貴公俊の一件に限らず、折に触れて語る言葉の端々から読み取れる。
だからこそ、残念に思われてならない。日本相撲協会の理事として、なぜ、日馬富士に対しても、愛情あふれる態度を示せなかったのかと。
「あなたの弟子と同じように、深い愛情を」
そんな思いは、私などよりも、ほかの相撲部屋の師匠たちにとって、はるかに強く、切実だったはずだ。
彼らは貴乃花親方と同じく、自分の弟子たちに「わが子」のような愛情を注ぎ、指導をしている。しかし、いくら気をつけても「わが子」は何かしら失敗をしでかすものだ。だからこそ、師匠たちは理事にこう望んでいる。
「どうか、うちの部屋の弟子にも、あなたの部屋の弟子と同じように、深い愛情を注いでほしい」と。
そんな師匠たちの目に、日馬富士に冷たい態度を取る貴乃花親方はどう映ったか。「この人には、うちの子を預けられない」――そう思っても責められまい。
理事会よりもむしろ、すべての親方が集う年寄総会で貴乃花親方への批判の声が高かったことからも、そんな事情がうかがえる。