濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
山本KID、突然の死。その衝撃と
RIZIN・那須川vs.堀口に続く物語。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph bySusumu Nagao
posted2018/09/26 11:00
2012年のVTJで弟子の堀口恭司についていた山本“KID”徳郁。その死は格闘技界を超え、多くの人に悲しみをもたらした。
アンディ・フグが亡くなった時も……。
再び、榊原の言葉を引用したい。
「過去にはアンディ・フグが亡くなった直後に大会を開催したこともあります(2000年8月27日のPRIDE.10)。会場の西武ドームには異様な熱があった」
この大会のことは、筆者もよく覚えている。熱気も湿気もこもりやすい西武ドーム。アンディ死去のショックを引きずる中での試合で、誰もがただならぬテンションになっていたように思う。5月のPRIDE GPトーナメントでホイス・グレイシーと90分にわたって闘い(しかもその後にイゴール・ボブチャンチン戦も)、心身ともに疲弊しきっていた桜庭和志がヘンゾ・グレイシー相手に時間切れ間際のアームロックを極めたのがこの大会だ。
「想像以上のエネルギーが生まれる大会というものがあるんです。“歴史の証人”ではないですが、その空間に身を置くことが特別な経験になる」(榊原)
あの時、我々には魔裟斗やKIDがいた。今は堀口や那須川がいる。9.30RIZINは歴史をつなぐ大会だ。