ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
全米騒然の女子プロレスラー来日!
ロンダ・ラウジー、WWEでの偉業。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2018/08/28 10:30
元五輪メダリストにして、MMA界の女王、そして女子プロレス界の革命児……ロンダ・ラウジーにかかる期待は大きい。
プロレスへの敬意が溢れるロンダ。
2015年8月のUFC王座防衛戦の際は、試合後のインタビューで「パイパーは(亡き)父と一緒に天国でこの試合を楽しんでくれたと思う」と、その前夜に急逝したパイパーを追悼するコメントも残している。
ロンダがWWEで使用している「HOT ROD!」と書かれたTシャツに、黒の革ジャン、チェックのキルトスカートというロディ・パイパーそのもののコスチュームは、パイパーとプロレスというジャンルに対する敬意の表れなのである。
また、WWEユニバース(ファン)がロンダを歓迎したのは、ロンダがWWE女子部門をメジャーに押し上げてくれる期待感があることも大きいだろう。
それは、ロンダがこれまで成し遂げてきた実績を振り返ってみればわかる。
米国初の五輪メダリスト女子柔道選手。
ロンダ・ラウジーは2008年の北京オリンピック柔道70kg級で銅メダルを獲得し、アメリカの女子柔道選手として初のオリンピックメダリストとなる。その後、2011年にMMAに転向すると連戦連勝を重ね、2012年3月、デビュー5戦目で当時の女子MMA最高峰であるストライクフォース女子バンタム級世界王者となった。
当時、なぜUFCではなく、ストライクフォースの王者が女子の最高峰だったかと言えば、UFC代表のデイナ・ホワイトはもともと女子MMAに否定的であり、UFCに女子部門が存在しなかったからだ。しかし、ロンダの実力と人気はデイナの認識を変えていき、2012年11月にロンダは女性として初めてUFCと選手契約を締結。同時にUFC女子部門が開設されることとなり、ロンダは女子ファイターのメジャーへの道を切り開いたのだ。
そしてUFC世界女子バンタム級初代王者に認定されたロンダの人気はさらに爆発。
UFCデビュー戦となる2013年2月の王座防衛戦では、PPV放送を約50万件販売し、女子選手がメインイベントを務めた格闘技の試合として、史上最高記録をいきなり樹立。
その後、PPV販売数は回を重ねるごとに記録を更新し、2015年11月のホリー・ホルム戦ではついに100万件を突破。
コナー・マクレガーと並ぶスーパースター中のスーパースターとなり、わずか2年半でUFCにおける女性ファイターの地位を確固たるものとした。