サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
ロシア大会を褒められると心が痛む。
岡崎慎司の目標は、36歳でW杯。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byTakuya Sugiyama/JMPA
posted2018/08/23 11:00
南ア、ブラジル、ロシア……予選で結果を残す一方、岡崎慎司は本大会で悔しさを味わっている。カタールでこそ、の思いが強くなるのは自然だろう。
痛み止めの注射を打ちながら。
「怪我と戦っているなかで、僕ひとりだったら正直諦めていた可能性もあった。代表合宿初日に『100%でなければ行くわけにはいかない』と監督に直談判したし、ほかの選手を連れて行ってもらったほうがいいのでは、という想いもどこかにあった。
でも、そういう弱気な自分に対して周りは『お前は行けるよ』という反応で、誰ひとり『もう十分頑張った』とは言わなかった。だからこそ、踏みとどまれた。同時に僕はかつて経験したことがないくらいに、追い込まれた。いろんな人の想いを感じ、自分だけじゃないということを感じさせられたワールドカップ。苦しい大会だった」
痛み止めの注射を打ちながら、プレーしなければならない。これまで怪我とは縁遠いキャリアを歩んできた岡崎にとって、初めての経験でもあった。
それとともに彼は思い知る。どんなに注射を打とうと、ピッチに立てばそれを言い訳にはできないということをだ。
傷の痛みも動きづらさも、すべては関係のないこと。今できる全力をチームのために振り絞る。それは特別なことではなく、当然のことだ。負傷を抱えながらプレーした過去のチームメイトたちもそうだったのだから。
それでも思わずにはいられない。
プレミアで過ごした3年間は……。
「怪我さえなければ、100%の力を出せたのに。プレミアで過ごした3年間はいったいなんだったのか」
ブラジル大会での惨敗後、岡崎のプレースタイルにとって不利な、難しい環境に身を置き、プレーすることが日本代表のためになると考えていた。そして、プレミアリーグのレスターへ移籍。高い身体能力を武器にするライバルが並ぶなかで生き抜く術を模索し、リーグ優勝にも貢献した。
厳しい現実と向き合いながら悩み、考えながら、葛藤し続けた。ゴール数という記録への満足感はないが、新たな自信も確かに芽生えた。その成果を日本代表のために発揮したいと願ったが、それを叶えることなく、ロシアを去らざるをえなかった。
全力を尽くしても出場機会を得られない、もしくは歯が立たないなら、自分の力不足だという現実を実感できる。それが明日からの原動力にもなるだろう。しかし、チャンスを与えられながらも、怪我という不運を負ってしまった。