“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
昌子源がW杯初戦で貫いた信念。
誰よりも「何が何でも守りきる」。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2018/06/21 17:30
ファルカオ相手にも吉田麻也との連係で抑えきった昌子源。W杯の大舞台でその能力を見せつけた。
“何が何でも守りきる”という気持ち。
味方がチャンスを迎えれば迎えるほど、研ぎ澄まされる守備への集中力。それはまさに“チャンスの後にピンチあり”を常に意識に刻みこんだ上でのリスクマネジメントに反映されていた。
だからこそ彼は相手のカウンターを受けても迷いなく相手を潰せるし、スペースを埋める動きで防波堤となれる。コロンビア戦での一連のプレーはまさにそれをきっちりと体現していた。
「俺はあまり代表とは縁がなかった人間。だからこそ、よりチームのためにプレーをしないといけないんです。俺はそこまで器用じゃない。でも、“何が何でも守りきる”という気持ちは人一倍強いと思う」
U-19代表合宿で味わった悔しさを胸に。
彼にとって初の代表は、高校卒業した後の2010年3月、U-19日本代表の兵庫合宿だった。この時、彼は希望よりも不安に満ちていた。
「最初、城市(徳之)監督(現・米子北高校サッカー部総監督)から選ばれたという話を聞いた時、“え、俺? 嘘でしょ!?”と思いました。“何で俺なんかが……”って。正直、場違いなんじゃないかなと。みんな自分より絶対に上手い。多分、俺が一番下手だと思う。対等にできるかどうか……」
この不安はプレーに出てしまい、この合宿の間に行われた練習試合では消極的なプレーに終始。その後、この世代の代表に呼ばれることは一度もなかった。
「悔しい、何も出来なかった」
こう唇を噛んだ彼だが、この経験が彼を大きく変えた。プロ1年目の秋に再び会ったとき、代表への想いはこう変化していた。
「あの時の自分は物凄く情けなかったと思っています。最初は『僕なんかが代表なんて……』と思っていましたが、実際に参加をして落選してみて、“もう一度入りたい”という気持ちが強烈に芽生えたんです。もう一度入るためには、足りないものは多いけど、ヘッドやキック、1対1、そして何より闘う気持ちといった長所をもっと磨かないといけないと思ったんです」