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日本ボウリング界のレジェンド
矢島純一、“最後の”アメリカ挑戦。
posted2018/05/30 16:30
text by
朴鐘泰Park Jong Tae
photograph by
Asami Enomoto
「これで最後だから」
72歳にして現役プロ、国内最多優勝41回、日米通算公認パーフェクト(12投全てストライクの300点)30回。日本ボウリング界のレジェンド、矢島純一がアメリカ遠征の前に口にする言葉だ。
初めての渡米は1966年にまで遡る。度重なるケガで渡米を断念した年もあったが、かれこれ50年以上にわたって世界最高峰のレベルにあるアメリカの地に立ち、最先端のボウリングを肌身で感じてきた。
「確かにおととしも去年も『これで最後』って言ったけど、本当に、結果が出なかったらアメリカに行くのは終わりにしようって毎回思ってました。だって、もう歳も歳だしね。いろんなところにガタが来てるし、年齢的にも大変だし、金銭的にも負担が大きい。1回行くと100万くらい掛かっちゃう。だけど2年前、勝っちゃったもんだから(笑)」
2016年6月、ITRCスーパーシニアクラシック制覇。70歳にして日本人初のPBA(全米プロボウラーズ協会)タイトルホルダーとなった。初渡米から50年越しの快挙である。
「去年はディフェンディング・チャンピオンとして出場して、決勝まで残って2位。『まだやれる』って手応えもあった。今年はコンディションも悪くない。ちょっと前に右手首と右膝に痛みが少しあったけど、今はもう大丈夫」
「もう日本の教え方では古いんですよ」
アメリカで勝負する以外に、矢島にはもうひとつの目的がある。
「すこしコーチングのほうをね。USBC(全米ボウリング協会)のゴールドコーチというライセンスを取りたいなと考えています。試合の合間に受講したいなと思っていて。せっかくアメリカに行くのだから、先進のボウリングを学ばないと」
そして、矢島はこう断言する。
「もう日本の教え方では古いんですよ。世界では勝てない。今は両手投げもいて、ローダウンもいて、サムレス(ボールの穴に親指を入れない)の子もいて、そういう子たちを教えるための技術が必要なんです。
本当は自分が投げて実践できたら一番いいけど、もうできないから……。自分がアメリカに行って、できるだけ新しいものを習得して、日本のボウラーに広めたい。もちろん、アマチュアの選手にもね」