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村岡桃佳、開花のパラリンピック。
ソチで発した「練習したいです」。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2018/03/18 07:00
金メダル授与式を終えたあとに「もっとたくさんの金メダルを」と語った村岡桃佳。
男子と一緒に練習して習得した技術。
ソチではもう1つ、強く感じたことがあった。
「私も立ちたい」
表彰式を見た瞬間、心にそんな思いが募った。
村岡は中学2年生で本格的にスキーを始めて以来、男子選手と一緒に練習する機会も多く、その中で滑りを観察し、真似もしながら上達してきた選手だ。
ソチ以降はもともと備えている吸収力に拍車がかかり、練習にも、筋力トレーニングをはじめ、一段厳しい姿勢で臨んだ。すると世界選手権やワールドカップでは表彰台に上がることが珍しくなくなり、世界のトップを狙える位置にたどり着いたのである。
着実に地力を蓄えた村岡だが、昨シーズンの世界選手権では3種目で3位、2種目で4位であったことが象徴するように、トップまでにはまだ壁があった。
自身、「1本目でトップになっても2本目で逆転されることが多い」と明かしているが、ここいちばんの強さに欠ける面もあった。
村岡は風を感じられただろうか。
しかし平昌で金メダルを獲得した大回転では違った。2本目で、1本目を上回る滑りをしてみせた。
「どうしても金メダルを獲りたいという思いがあって、勝つか、転ぶか、そんな滑りをしようと思っていました」
村岡は、アルペンスキーを語る中で「怖さ」を口にすることがあった。滑降は時速100キロを超える世界だ。そのスピード、転倒したときの痛み……。その怖さを吹っ切り、一歩も引かない滑りが生んだ1位であり、1つ階段を上がった瞬間だった。
最初の種目でまずメダルを手にしたことで、緊張や重圧から解放されたことも大きかったのかもしれない。そして大舞台で勝利した経験は、たしかな実績となり、今後につながっていくだろう。
そして小学生の頃、陸上競技に夢中になった理由が「風を感じられたこと」だったように、チェアスキーにも風を感じる魅力を見出した村岡にとって、平昌では、これまでにない風を感じられたかもしれない。