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カーリング本橋麻里らの重い言葉。
「4年に一度」人気、競技の発展は。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2018/03/02 07:00

カーリング本橋麻里らの重い言葉。「4年に一度」人気、競技の発展は。<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

「キープ・スマイル」「ステイ・ポジティブ」。本橋(右)が掲げたスローガンどおりの戦いぶりだった。

オリンピック“では”人々が注目する。

 2010年のバンクーバー五輪では、開幕前から期待と人気を集めた。このときもチーム青森が出場し、目黒、近江谷杏菜、本橋、石崎琴美、山浦麻葉というメンバーであった。大会の前には取材依頼が殺到し、1日で十数件をこなす日もある状態だった。

 2014年のソチ五輪は北海道銀行が出場。メンバーは小笠原、船山、小野寺佳歩、苫米地美智子、そして平昌の日本代表でもある吉田知那美だった。結婚と出産を経て8年ぶりに代表となった小笠原と船山への注目をはじめ、準決勝進出の可能性を秘めた戦いなどで、やはり人気を集めた。その中で吉田が、インフルエンザの選手にかわって急きょ出場し、試合を重ねるごとに高いパフォーマンスで活躍したのも記憶に新しい。

 カーリングはオリンピックごとに人々を惹きつけてきた。裏を返せば、オリンピックが終わるごとにブームが収まったことを物語っている。それを「4年に一度」と選手たちは表現しているのである。

「今後も支援を受けてできるかどうか」

 オリンピックが終わればほどなくして関心が元に戻ってしまうことで、競技の地位や環境の向上という点においては大きな変化が望めなかった。

 今大会でも、この先を危惧する言葉があった。男子の日本代表として出場したSC軽井沢クラブだ。4勝5敗で準決勝進出に最後まで可能性を残す健闘を見せたが、すべての試合を終えて、スキップの両角友佑はこう言った。

「今後も支援を受けてカーリングができるかどうか。そのあたりの環境が整うのであれば、僕は続けたいと思います」

 彼らは男子20年ぶりの五輪出場を勝ち取ったばかりでなく(前回は開催国枠での出場のため自力出場は初)、世界選手権4位になるなど屈指の実績を誇る日本のトップチームだ。そんな彼らでも、今後の活動には支援体制を考慮せざるを得ない。

 日本カーリング界には、そんな現実がある。

【次ページ】 競技が発展していくポテンシャルはある。

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