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スピードスケートだけでメダル6個!
日本を変えたデビットコーチの4年間。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byNaoya Sanuki/JMPA
posted2018/02/26 11:45
マススタートで高木菜那がゴールした瞬間のデビットコーチ(写真中央)。オランダと日本の指導技術の融合から生まれた金メダルだった。
学ぶことが多かったオランダ独自の練習法。
オランダでは自転車の練習が多かった。日本でよく行なう室内での自転車トレではなく、ロードに出ての長距離走。100キロのロードトレーニングは当たり前だった。平地の多いオランダ国内だけではなく、ときにはイタリアやドイツでも合宿を張った。
'14-'15年シーズン、高木やウイリアムソンの成績は上がった。2人は'14年12月の全日本選手権でそろって初優勝を飾った。国際大会でも順位を上げていた。
ソチ五輪での惨敗を受けて改革を敢行したのは、日本スケート連盟も同じだった。企業チームごとの強化から、初めてナショナルチームをつくっての強化に取り組んだ。
ナショナルチームの選手には、合宿中の活動費に加えてランクに応じた強化費も出た。これにより、企業チームに入れなかった選手も現役を続けられる可能性が広がった。
スケート連盟は外国人コーチの招聘も行なった。ただ、'14-'15年シーズンは中長距離の専任コーチがまだいなかった。
デビットコーチが日本ナショナルチームのコーチに就任したのは'15-'16年シーズンだ。強化体制の本格的な改革はここがスタートだった。デビットコーチは「ニューバランス・チーム」時代と同様の練習を日本に持ち込んだ。
練習方法だけでなくメンタル面も指導。
オランダ流の長距離自転車トレーニングのほか、フィジカルトレーニングの数値をその場で選手に見せることで選手のモチベーションを高める方法を導入。モニターに出た数字を見ながら、オランダのメダリストたちの具体名と数値を挙げて比較し、選手の意欲をさらに高めた。
体脂肪の管理も徹底した。
甘い物を口にする選手には厳しく注意し、意識改革をうながした。女子選手は目に見えて身体が絞れていった。そして、誰もが感心したのが選手への目配りだ。デビットコーチは選手の精神面の細かい変化も見逃さず、ポジティブな言葉をかけ続けた。
もちろん、ときには怒りもした。年を追うごとに、レース後にデビットコーチに選手が駆け寄っていくシーンが増えていった。