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アイスホッケー姉妹、2人で五輪へ。
床亜矢可&秦留可の夢は両親に……。
text by
神津伸子Nobuko Kozu
photograph byAFLO
posted2018/01/24 07:00
スマイルジャパンでの活躍が期待される床亜矢可(左)と秦留可。2人の競演がリンク上を熱くする。
姉妹対決では「妹の涙を見るのが本当に辛かった」。
姉妹のここまでは、決して順風満帆とは言えない。
アイスホッケー日本リーグの選手だった父が引退後、家族で釧路に移った。釧路は釧路工業、釧路江南などの名門校がある日本有数のホッケータウンだ。日本人初のNHLプレーヤーとなった福藤豊(現日光アイスバックス)の出身地でもある。
亜矢可は幼い頃からアイスホッケーを始め、2つ下の秦留可も姉の背中を追いかけた。東京への引っ越しが決まった時、亜矢可は所属していた高校やチームの仲間たちと過ごす事を懇願し、父と残った。秦留可は母、弟とともに上京した。
その後、姉妹は何度も敵味方で対戦する事になり、亜矢可は「妹の涙を見るのが本当に辛く」、勝利しても素直には喜べなかったという。
亜矢可の最大のピンチは、高校3年生の時に訪れた。
全身がだるい、微熱が続く、友達と放課後にしゃべりながら摘まむフライドポテトさえ、1つ1つをしっかり持ち上げられない。下された診断は、甲状腺肥大だった。
薬で時間をかけて治す方法もあったが「そんな事を言ってたら、ソチ五輪に間に合わなくなっちゃう!」と、10代の決断は早かった。5時間を超える手術を乗り越え、首の付け根には、大きな傷跡が残った。それでも、自ら「タラコ2本分だね」と笑いに変えた。
風格のある亜矢可は「みんなのお母さん」?
やがて亜矢可は高校を卒業すると、法政大学に入学。女子日本アイスホッケーリーグのプリンセスラビッツで2人一緒にプレーすることになった。現役時代DFだった父からは、同じDFの亜矢可により厳しい指示が飛ぶ。
一方で秦留可には「アイスホッケーは5人でやるのだから、5分の1頑張ればいい、他の4人を信頼して」とかなり対応が違う。
2人はポジションだけでなく、性格や行動もかなり違う。記者会見でハキハキ大きな声で受け答えをする亜矢可は、母によれば、家にいる時はボーっとしているという。
秦留可は取材時は小声でボソボソつぶやくが、子供の頃からピアノやスイミングをやりたいと親に直訴し、上京時も高校を自ら決めた行動力を持つ。
亜矢可は昨春、企業とスポーツ選手をマッチングして就職をサポートする「アスナビ」を活用し、ANA(全日空)に就職した。5年前に初めて取材で会った時からは見違えるほど大人になり、風格もある。代表発表会見でも「みんなのお母さん」と紹介された。「DFでは、若い方から2番目なのに」と、余裕で笑い飛ばした。