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1年目のイチロー評と若き日の涙。
NYの背番号2、ジーターとの会話。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byGetty Images
posted2017/05/29 08:00
1995年のデビューから2014年の引退までヤンキース一筋でプレー。通算2747試合、打率.310、260本塁打、1311打点、358盗塁。
イチローは俺と同じく、野球を楽しんでやがるんだな!
たとえばデビューしたばかりのイチローについて聞いた時、彼はこう言って楽しそうに笑った。
「ウチ(旧ヤンキースタジアム)に来た時、何でもかんでもやりたい放題だったから、走者として二塁に来た時に『おいおい、ちょっとはスローダウンしてくれないか?』って言ってやったんだけど、嬉しそうに笑いやがってね。『あ、こいつも俺やほかの選手と一緒で、野球を楽しんでやがるんだなぁ』って思ったよ」
たとえば1992年、憧れのヤンキースからドラフト1巡目(全体6位)指名で入団し、マイナーリーグでプレーした時のことについて聞いた時。
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「マイナーで1人ぼっちになった時には、毎晩、アパートに帰って泣いていたね」
――え? 泣いたって、本当に涙を流したって意味?
ジーターはそこで、とても恥ずかしそうな表情になった。
「うん、まあ、僕はその時、高校を卒業したばかりで家を離れたことがなかったし、孤独ってのを味わったことがなかったんだ。おまけに入団するのが遅れたお陰でルームメイトもいなかった。マイナーでの成績もひどいもので『やっぱり大学に行けばよかったかなぁ』って考えたこともあったぐらいなんだ。だから毎晩、両親に電話してたよね」
永久欠番セレモニー後、あったのは感傷ではなく。
ジーターの永久欠番セレモニーを眺めながら、そういうことを思い出していると、多少なりとも感傷的な気分になった。
それがきれいさっぱり吹き飛んだのは、アストロズの1番打者ジョージ・スプリンガーがヤンキースの先発、田中将大に先頭打者本塁打を浴びせたからだった。
誤解のないように言っておくが、田中が「ジーターの祝福ムードをぶち壊した」と言いたいのではない。「プレーボール」が宣告されると、どんなに感傷的な気分も入り込む余地がない。ジーターという過去はそこには存在せず、あるのは現在進行形の「ベースボールという名のゲーム」だけなのだ。