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1年目のイチロー評と若き日の涙。
NYの背番号2、ジーターとの会話。
posted2017/05/29 08:00
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
Getty Images
いつの間にか、満員になっていた。
夕闇迫るヤンキースタジアム。5月14日のダブルヘッダー第2試合、「デレク・ジーターの日」と銘打たれた背番号2の永久欠番セレモニー。第1試合では閑散としていた観客席が、いつの間にか最上階まで隙間なく、埋まっていた。
ピッチャー・マウンドを中心に、ヤンキースを所有するスタインブレナー一家やレジー・ジャクソン元外野手、ジーターとともに“コア4”と呼ばれたアンディ・ペティット元投手、マリアノ・リベラ元投手、ホルヘイ・ポサダ元捕手ら往年の名選手が座っている。登場時にひときわ大きな歓声を受けた松井秀喜ももちろん、その一員である。
ジーターに一度だけアポなしインタビューを敢行した。
デレク・ジーター。
そのキャリアについて多くを語る必要はないだろう。
Mr. Clutch=チャンスに強い。
Mr. November=史上初となった11月開催のワールドシリーズでのサヨナラ本塁打。
メジャー歴代6位の通算3465安打の安打製造機にして、1990年代半ばから始まったヤンキースのもっとも新しい黄金期を支えた最後のキャプテンである。
「ここで20年プレーしたが、時が経つのは早く、記憶というのは消えていくもの。でも、ファミリーは永遠だ。ヤンキースというファミリーの一員でいられることに感謝したい」
雑誌の企画で一度だけ、ジーターにアポなしの単独インタビューをしたことがある。それは2001年のボストンでのこと。引退間近のカル・リプケンJr.について。攻撃型遊撃手の「ビッグ3」と呼ばれたノーマ・ガルシアパーラー(当時レッドソックス)やアレックス・ロドリゲス(当時マリナーズ)について。そして、当時3度のチャンピオンリングを手にしていた彼のキャリアについて……等々。聞きたいことは山ほどあった。