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ホークス三軍監督に就任の元スター。
佐々木誠は原石に「期待しない」?
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2017/05/25 08:00
柳田悠岐、千賀滉大、武田翔太、上林誠知らは三軍で経験を積んでホークスの主力選手へと成長した。
自身の若手時代は「虐待みたいな練習でした(笑)」。
それは社会人野球で培われたものかと訊ねると、指揮官は「もっと前」だという。
「現役の最後、1年間アメリカに行ったのが大きかったです」
かつてのスターの晩年を知るファンは意外と少ない。'99年からは阪神タイガースで2年間プレーした。しかし、故障もあって全盛期の輝きを放てずに2年で退団。'01年、最後の望みをかけてアメリカに渡ったのだ。結局メジャー球団との契約は叶わなかったが、現地の独立リーグで1シーズンプレーして、静かにユニフォームを脱いだ。
「アメリカに行ったのも向こうの組織の素晴らしさ、やり方などを学ぼうと思ったのがきっかけでした。あっちに行って驚いたのはコーチがほとんど指導をしないこと。選手が訊きに来るまではほとんど教えない。自主性を大切にしていました」
自身の若手時代は「それこそ根性野球でしたけどね」と苦笑いする。
「それこそ虐待みたいな練習でした(笑)。テーピングでバットと手をぐるぐる巻きにして素振りですよ。やっと終わってテーピングを外す時、手の皮がバットに引っ付いて離れない。もう、痛いのなんの。その後顔を洗うにも、ずっとバットを握っていたから指が丸まったままなんです。一本一本自分で引き延ばして、ようやく洗っていた」
その猛練習があったから、その後の自分があったという自負はある。だから「良い思い出でもある」と振り返ることができる。
「あと5本」という声が、選手を一番上手にする。
ただ、それを乗り越えられたのは当時、自分自身で目標を設定していたからだった。
「入団した時、父が『4年後ダメだったら帰ってきて(地元の)岡山で仕事をやればいい』と言ってくれたので、4年間はとにかく一生懸命やると腹をくくれたのがよかった。確かに厳しい練習でしたが、目標のためにどうすればいいかと考えながらやっていたんで、4年間の練習は苦しくも何ともなかった」
現在のホークス三軍。もちろん通常練習以外の特守や特打の時間は設けられるが、特に大事にされているのがその次の時間だ。「あと5本」の声がグラウンドのあちこちから響く。
「その5本が、選手を一番上手にするんです」
佐々木三軍監督はにやりと笑う。