濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
木高イサミ、大家健から石川修司まで。
GWに繋がったマット界の“男の星座”。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2017/05/02 17:00
BASARA後楽園大会、木高イサミ(右)は2試合に出場し、岡林裕二とも対戦。試合前はツイッターで岡林攻略の情報収集をしていたが……。
モットーは「最後はお客さんを笑顔にして帰す」こと。
後楽園大会、イサミは2試合を敢行。
大日本プロレスの岡林裕二とも対戦している。
これがシングル初となるインディーマット屈指の人気選手対決は、イサミが敗れたものの、“らしさ”がよく出た試合だった。豪快なチョップをこれでもかと食らい、セコンド・吉野達彦の“泣き落とし”で笑わせ、場外戦では客席に思いっきり突っ込む。サービス精神の塊のような試合だ。
「どこのリングに上がっても、プロレスが楽しいものだと感じてほしいっていう気持ちは変わらないですね。“プロレスってこんなに楽しいんだ”でも“あぁ、イサミ楽しそうにやってんなぁ”でもいいですし」
フリー時代から、イサミは全国各地、かなり小さな町で行われる大会にも出場してきた。地元で食事をごちそうになり、そこでたまたま出会った小学生と仲良くなって、別れ際に2人で泣いたりもした。
どんなに小さな興行でも、観客にとっては非日常。かけがえのない体験だ。それを肌で感じたからか「最後はお客さんを笑顔にして帰す」ことがイサミのモットーになった。
BASARAの前身であるユニオンプロレスが解散してからは、余計にその思いを強くした。
ガンプロ大家健がタイトル防衛。そして、やっぱり号泣!
翌30日には、大阪の平野区民ホールで東京女子プロレスとガンバレ☆プロレス(ガンプロ)の興行があった。
どちらもBASARAと同じDDTグループの団体で、ガンプロ代表の“カリスマ号泣師”こと大家健はイサミとともにユニオン所属だったこともある。
ガンプロ大阪大会のメインは、大家vs.丸山敦の「インディペンデントワールド世界ジュニアヘビー級選手権」。
タイトルを守った大家は、かつてプロレスの道をあきらめて失踪していた時、気がつくと大阪の常設プロレス会場を訪れていたこと、そこで自分の気持ちを再確認したという思い出を涙ながらに語った。
自分は大阪のリングに救われた、だから初防衛戦を大阪でやりたかったのだ、と。