ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
キャリアのピークは誰が決めるのか。
谷原秀人と池田勇太の年の取り方。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYoichi Katsuragawa
posted2017/04/19 08:00
練習中に、いい表情を見せてくれた池田勇太と谷原秀人。若い才能の出現と選手寿命の伸長で、ゴルフ界の世代は今本当に幅広いものになっている。
池田勇太の「賞金王としてアメリカ行き」計画。
谷原はオーガスタに戻るまでに10年かかった。
そして池田勇太も今年、6年の歳月を費やしてマスターズに3回目の出場を果たした。昨季日本で賞金王になり、今後も世界ランク50位以内を確保できれば、米ツアーに複数ある招待試合に出場できる。「谷原さんは欧州ツアーのメンバーになったが、僕はアメリカが好き。チャンスがあればPGAツアーにも出たい」という。
'09年に日本でプロ初勝利を挙げてから、'10年、'11年とマスターズに出た池田の本格的な海外挑戦は、注目されるところだった。その間に石川遼、松山英樹が海を渡り、岩田も続いた。
ただ池田は、自分のやり方を貫いた。その意志を訥々と語ったのは2年半前。'14年10月、日本オープンを制した後の優勝会見の言葉が残っている。
「夢としてはあるよね。向こうでやりたいっていうのは。でも2009、'10年は2年で8勝したのが、'11年以降、勝てなくなって(※'11年から'15年は年間1勝ずつ)、メジャーに行けなくなって今がある。日本で“もっと強い池田勇太”を作ってから向こうに行きたい。(年間)2勝、3勝、4勝として……賞金王を獲ってね。鳴り物入りで行かないと、面白くねえじゃん。そこをオレは狙ってる」
一瞬活躍しても、尻すぼみではカッコよくない。
2年半の時間が彼にとって長かったのか、そうでなかったのか。いずれにせよ、その言葉を池田は現実にした。
ゴルファーのキャリアのピークを識別するのは実に難しい。池田は当時から、焦らずじっくり“その時”を待つ姿勢を口にしていた。
「野球選手なんかも下積みを作ってから行く。そういう生き方が正しいんじゃないかなと思う。ドーンと行って活躍できちゃいました、それで尻すぼみで帰ってきました、ってのはカッコよくない。30、40歳で(海外に)行ったって良い」
誰にとっても正解とは思わないが、彼は選んだその道で、再び世界への挑戦権を得た。そしてこの春「チャンスを活かさないと。欧州に比べるとはるかに米国は移動も、食事も不自由することはない。言葉の問題はあるけど、生活にはそんなに問題ない。まあね、ゴルフはどこでやっても楽しい」と晴れやかに言った。