ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
キャリアのピークは誰が決めるのか。
谷原秀人と池田勇太の年の取り方。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYoichi Katsuragawa
posted2017/04/19 08:00
練習中に、いい表情を見せてくれた池田勇太と谷原秀人。若い才能の出現と選手寿命の伸長で、ゴルフ界の世代は今本当に幅広いものになっている。
突然、荷物をまとめて帰国した前回のアメリカ挑戦。
谷原は'02年に日本ツアーでプロデビューし、'05年には米ツアーに参戦した。前年度末の予選会を21位で通過。'09年の全米オープン覇者、ルーカス・グローバーらと“同期”に当たる。丸山茂樹が米ツアー3勝目を挙げた翌々年のシーズン。挑戦は思わぬ形で幕を下ろした。
当時を知る米ツアー関係者たちは口を揃える。「谷原は突然、荷物をまとめて帰ってしまった」と。出場した20試合で予選通過は6回。9月の試合を最後に、シーズン終了を待たずして帰国した。
本当に成熟したのは、アラフォーが迫ってから。
もがいて、あがいて、報われなかった12年前を谷原はこう回想する。
「ずっと、1年間……“岩田寛”だったんですよ」
2学年下の岩田は、一昨年秋に米ツアーに参戦。ショットの大不振から抜け出せず、シードを確保できずにいる。東北福祉大OBの後輩を思いやる谷原。彼の苦悩は、当時の自分と重なるところがある。
「(ボールが)クラブの芯に当たらない。薄い当たりばかり。当たっても感触がなんか違う。たぶん力みがあるからだと思うんだけど、それが分からない。それに、音がスゴイでしょう。こっちの選手は。アイアンでもバコン! って」
環境の変化が引き起こした悪循環。能力の単なる「違い」が、いつの間にか「差」に感じられ、自分を見失う。
「でもゴルファーって皆そうなんだ。(不振脱出には)本当はゴルフをしないのも良い。でも、できないんだよね。3週間ゴルフをしなければ、芯に当たるようになるかもしれない。けれど次から次へと試合が来る。あの苦しさは……」
帰国した日本で谷原は、時間をかけて世界への再挑戦の時期をうかがった。'06年の全英オープンで5位に入ったが、本当の意味で成熟したのは肩の故障を乗り越え、アラフォーが迫ってから。そしてこの春、チャンスをものにした。マスターズだけではない。マッチプレーでの活躍などもあり、今季は欧州ツアー参戦も可能になったのだ。