ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「何人タイガーマスクいるんだよ!?」
佐山サトルから三沢、Wまで大集合!
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2017/03/05 11:30
ブラック・タイガーに鮮やかなローリングソバットを見舞う初代タイガーマスク。佐山の遺伝子は、今の「W」にも継承される。
新日本最盛期は、初代タイガーがいた時代だった。
最も有名な初代タイガーマスクは、'81年4月にテレビ朝日系アニメ『タイガーマスク二世』とのタイアップで誕生。当初は、そこまで力を入れたプロジェクトではなかったが、その正体である天才・佐山サトルの革命的な“四次元殺法”で大ブームを巻き起こした。しかし'83年8月、新日本内のクーデター未遂騒動に巻き込まれるかたちで、引退(新日本退団)を表明。突然、ファンの前から姿を消してしまう。
新日本プロレス45年の歴史で最盛期とは、そのまま初代タイガーマスクが活躍した期間だ。「タイガーマスク」とは日本プロレス史上最大の“ヒット作”であり、“あの人気をもう一度”との思いが、その後のタイガーマスクを生み出していくこととなる。
ヘビー級とも闘える2代目・三沢が苦しんだギャップ。
タイガーマスク引退の翌年、佐山にプロレス活動継続の意思があるとわかると、ライバル団体の全日本プロレスが佐山獲得に動き出した。しかし、交渉が難航すると、全日本は原作者である梶原一騎の了解を取り付け、新たなタイガーマスクを誕生させることに方向転換。こうして'84年8月にデビューしたのが、三沢光晴扮する2代目タイガーマスクだ。
初代より大型であった2代目は、「ヘビー級とも闘える、スケールの大きなタイガーマスク」として売り出したが、どうしても初代と比較されてしまい、爆発的な人気を獲得するには至らず。
そして、'90年5月に全日本が天龍源一郎ら選手大量離脱に見舞われると、2代目は虎のマスクを脱ぎ捨て、全日本の救世主となる。三沢は、初代タイガーの呪縛から解き放たれることで、その才能を開花させ、その後は全日本のエース、さらには日本マット界最高のレスラーとなっていく。
こうして「タイガーマスク」は一時期プロレス界にいなくなるが、'92年にまた新たなタイガーが誕生する。3.1横浜アリーナで行われた新日本の創立20周年記念大会で、往年の名レスラーを集結させる企画が持ち上がり、そこで3代目タイガーマスクをデビューさせることになったのだ。