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あの日、タイソンはなぜ負けたのか。
1990年2月11日、東京ドームの衝撃。
posted2017/01/26 13:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
AFLO
小さな子供が公園のジャングルジムを登っている。棒に手をかける。次に片足を乗せ、体を引っ張りあげる。1段登れた。再び、次の棒に手をかける……。ところが、そうやって幾つかの段を登り、頂上が見えてくると、途端に動きが止まる。地面から見上げていた時には見えなかった光景が足をすくませるのだ。
それを見ていた村田諒太は、自分がいる世界も同じだと思った。ランキングが上がり、頂点が近づくほど怖くなる。だから、こう声をかけたという。
「なんで怖がる必要があるんだ。今までと何も変わらない。今までと同じことをやるだけでいいんだよ」
ボクシングのミドル級と言えば、21年前に竹原慎二が戴冠して以来、日本人が足を踏み入れられない領域だった。破壊力、運動能力と全てにおいて想像を超えるモンスターがひしめいている世界だ。村田はそこで今年、世界王座に挑もうとしている。
「相手が誰かは関係ないです。相手の強さは自分ではコントロールできませんから」
1段目も、頂上への最後の段も必要な動きは同じ。だから、どこの誰が相手でもいい。そういう心境にたどり着けたのはなぜか? 村田はNumber920号ボクシング特集のインタビューの中で、スポーツライター二宮寿朗氏にその経緯を打ち明けている。編集者として立ち会った私が印象的だったのはこの言葉だ。
「人間は自分のためには戦えないですが、集団のためには戦えるんです。誰かのために戦う。そう思えてから落ち着きました」
それを聞いた時、マイク・タイソンを思った。
「タイソンは何のために戦っていたのだろうか」
ニューヨーク最悪の少年院で伝説は始まった。
1978年、荒廃した街で暴力と盗みに明け暮れていた12歳のマイク・ジェラルド・タイソンは、ニューヨーク州最悪と言われるトライオン少年院に入っていた。そこに元ボクサーの教官がいた。自信満々で挑んだが、ボディ1発で失神させられ、それからボクシングに目覚める。そして、その教官から老トレーナー、カス・ダマトを紹介されたのだ。