濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
神取忍や小池栄子の夫を飛び道具に。
RIZINに潜む、年末格闘技の矜持。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byMunehiro Hashimoto
posted2016/12/04 08:00
ミスター女子プロレスとして恐れられた神取だが、ギャビとのサイズ差を跳ね返して勝利できるのだろうか。
今は世間に振り向いてもらうところから……。
正直なことを言えば、こうした“飛び道具カード”に目くじらを立てるのも「今さら」という感じではある。冒頭に書いたように、これはいわば年末の風物詩なのだ。「今は世間に振り向いてもらうところからやり直さなくてはいけない」という榊原委員長の考えは、きっと正しい。
高田本部長は、賛否両論「コミコミ」でマッチメイクしているとも。単に勝った負けたで序列を決めるだけではなく、ファンあるいは世間と共有できるテーマを持った闘いを提供するのがRIZINのコンセプトでもある。当日、神取や坂田や、それに小池栄子に微塵も心を動かされないとは言い切れない。
実際、この2カードへの反響は大きい。批判も多いが、それも含めて話題になっていることは間違いない。つまり日本では世間からの距離が離れてしまった格闘技が、今も“営業中”であることをアピールすることはできている。
“テレビの特番”という要素はどうしても濃くなる。
RIZINが軌道に乗ったとしても、この路線は続くはずだ。年末大会はビッグイベントであると同時に“テレビの特番”という要素がいつも以上に濃くなる。裏番組に勝つため、紅白に勝つため、テコ入れはいつだって必要だ。2005年、全盛期のPRIDE大晦日大会にも俳優の金子賢が出場している。アントニオ猪木vs.モハメド・アリのように“良識派”が顔をしかめたり嘲笑したりするものこそ新しい渦を起こすのだ、とも言える(今の神取や坂田を当時の猪木、アリと同列に語ることはできないけれど)。
そもそもPRIDEも旧K-1も、テレビ局との密接な関係があってスタートしている。RIZINも同じだ。今でもテレビはメディアの王様。「テレビは終わった」「大事な出来事をテレビは報じない」と言われながら、その主語はやはりテレビなのである。この場合のテレビとは、もちろんCSではないし、テレビモニターでネット配信の海外ドラマを見ることでもない。あくまで地上波だ。