“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
リオ18人枠を外れても「プラスに」。
中谷進之介20歳、再び燃える反骨心。
posted2016/07/13 11:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
7月1日、都内のJFAハウスでリオデジャネイロ五輪に出場する、U-23日本代表の18名とバックアップメンバー発表会見があった。手倉森誠監督が読み上げた18名の中に、6月29日に松本で行われた、U-23南アフリカ代表との国内最後の壮行試合でピッチに立っていた、柏レイソルの若きセンターバック・中谷進之介の名前はなかった。手倉森監督の口から彼の名前が呼ばれたのは、バックアップメンバー発表の時だった――。
「テグさんは会見で僕の名前は出してくれましたが、本当にあと一歩だった。そのあと一歩に何が足りなかったのかを考えたい。バックアップメンバーに選ばれたからには、しっかりと準備をしたいし、自分の成長のためにも、何が足りなかったのかをしっかりと整理したい」
非情な通告を受けた後の中谷の言葉、表情には悔しさがにじみ出ていた。彼自身、メンバーに入れるだけの手応えはあった。プロ2年目の2014年から出場機会を掴むと、今年はスペインのジムナスティック・タラゴナに移籍した鈴木大輔から4番を引き継ぎ、クラブの彼への期待の大きさに応えるかのように、ピッチ上でもCBとして不動のレギュラーの座をがっちりと掴みとった。
20歳にして柏の最終ラインを統率するクールな頭脳。
20歳にしてDFリーダーとして、柏の守備をコントロールする立場となった彼は、持ち前の対人の強さ、空中戦はもちろん、試合をこなすごとに全体のバランスを見てのポジショニングや、カバーリング、そしてコーチング能力を磨き上げていった。
「去年までは周りに任していた部分はありました。でも、今年は自分が任される立場になった。試合中は常に頭の中を冷静にして、他の人をコントロールしながらプレーしていることは、凄く勉強になっています。自分が気付くことも多くて、まだまだではあるけど、クレバーに戦えるようにはなっています」
CBとしてプレーの幅を広げていく自分に、手応えを感じていた。だからこそ、目標であったリオ五輪への道筋が見え始めていた。
「リオ五輪は僕にとって大きな目標。自分自身、ここまでの2年間は、ずっとリオ五輪にパワーを向けてやっていました。絶対に達成したい目標だった」