炎の一筆入魂BACK NUMBER
広島“キクマル世代”の隠れスター。
安部友裕「人生、一度きり」の逆襲。
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/05/12 10:40
安部友裕のキャリア最高は2013年の75試合出場。今季それを超えるためには、ルナ、そして堂林らとの争いに勝つ必要がある。
丸が、菊池が先に一軍に定着していった。
安部は今春キャンプから、首脳陣に厳しく叱責されてきた。ミスに対してだけではない。練習に対する取り組み方から姿勢まで、細かいところまで指摘され、ときにはチームメートのいる前で説教を受けることもあった。そこには、安部の自覚を促す首脳陣の狙いがあった。
安部は中田翔(日本ハム)、唐川侑己(ロッテ)、由規(佐藤・ヤクルト)が「高校ビッグ3」と呼ばれた'07年のドラフトで入団した。「高校ビッグ3」の1人、唐川を抽選で外した広島から、外れ1位で指名を受けた。高い身体能力を誇り、1年目から二軍で多くの出場機会を与えられるなど将来を嘱望されていた。
だが、高校生ドラフト3巡目の丸が先に一軍昇格を果たし、初めて一軍に上がったのは4年目のシーズン。その後も一軍に定着できず、'12年に二塁のレギュラーだった東出輝裕(現一軍打撃コーチ)の負傷離脱によって巡ってきたチャンスも、同学年の菊池に奪われる形となった。
本職の遊撃も気づけば田中が定位置をつかみ、安部は取り残されるように一軍と二軍を行ったり来たりするシーズンが続いた。身体能力の高さは3年連続ゴールデングラブ賞の菊池にも引けを取らない。だが、ポカが目立った。
2013年以降は二軍暮らしが長くなり……。
'13年シーズン6月28日阪神戦(甲子園)で犯した逆転負けにつながる適時失策からは、プレーに精彩を欠いた。ミスを引きずっていたのが、表情にも表れていた。自然と出場機会は減り、9月に選手登録を抹消された。二軍降格時には、当時の野村謙二郎監督から厳しい言葉を受けた。
落ちた二軍でも、表情は冴えなかった。自分自身へのいら立ちを隠せず、後ろ向きな発言も聞かれた。“甘さ”こそ、安部が殻を破れなかった理由かもしれない。'14年、安部の一軍出場はわずか3試合。3打数1安打だったが、二軍降格には無言のメッセージも込められていた。