マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
諦念に抗う者、生まれ変わった者。
オリックス・伏見寅威、大田阿斗里。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/03/01 10:40
2007年に高校生ドラフト3巡目でDeNA入りした大田阿斗里。トライアウトからの復活なるか。
紅白戦9回にマウンドに上がった大田阿斗里。
10人以上の投手たちが“舞台”に上がったあとの9回。
最後の一人で、この日いちばん大きなユニフォーム姿がマウンドに上がる。なのに、その背中に背番号がない。
誰だろう……? と思ったら、外野寄りのスタンドでファンが「アトリ! アトリ!」のアトリコールだ。前の席に座ったファンの一人が、あれは去年までDeNAにいた大田阿斗里といい、練習生でこのキャンプに参加していて、少し前に育成枠で採用されたのだと周囲に一生懸命説明している。ファンとはなんとありがたいものか。
阿斗里か……。
帝京高の大田阿斗里といえば、シニア当時から“スーパー”と評判が高く、高校でも140キロ後半から150キロに及ぶ剛速球で鳴らした大型本格派だった。
帝京高の頃、彼のボールはすごかった。
ボールというより“石”だった。受けた翌日からしばらく、左手の手のひらの骨が痛んで、荷物は右手でしか持てなかった。
“甘えんぼ”は変わっていないのか……。
一方で、自分が思うように成長できないいら立ちを、人のせいにして話す“甘えんぼ”のところがあった。そんな幼さがあるのに絶対プロなんて言うので、大丈夫かな……と思っていたら、案の定入って4年も5年も芽が出ない。
ファームの寮に行った機会に顔を合わせたら、「わき腹にぜい肉がつくとなかなか取れないんだよ」という寮長のありがたい忠告を、知らん顔で聞き流す大田阿斗里がいた。
変わっとらんね……。そのときはそう思った。
2013年、なんのはずみか一軍で38試合、中継ぎでちょっと活躍したが、結局その年だけのことで、とうとう昨季8年お世話になったDeNAから戦力外通告を受けた。
マウンドに上がった大田阿斗里が、時間をかけて踏み込むあたりの地面をならしている。
ん、そんなことするヤツだったか……?