Jをめぐる冒険BACK NUMBER
フロンターレ史上初の日本人10番。
大島僚太が五輪とJの総取りを狙う。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/01/22 11:30
マークを自力ではがし、強烈なミドルを叩き込んだ大島僚太。遠藤航との中盤コンビはU-23のまさに心臓だ。
個人ではなく、チームの目標を考えた2015年。
1度目の変更が「憧れ」によるものだったなら、今回の変更は何によるものか。
'11年にプロ入りした大島にとって、大きなターニングポイントとなったのは2014シーズンだった。この年、中村とボランチを組み、シーズンを通してコンスタントに試合に出場したことが大きな自信になった。そうして迎えた2015シーズン、大島は開幕前、初めて自分のことではなくチームのタイトル獲得にいかに貢献できるかを目標として定めた。これまでは自分のことで精一杯だったが、チームのことを考える余裕ができたのだ。
しかし昨シーズンもまた、タイトル獲得はならなかった。
シーズンを終えた昨年の12月、大島はこんな風に話していた。
「どうやったら獲れるんだろう、なんで獲れないのかって考えた1年でしたし、今も考えてます。ガンバを見ていると、自然と上位に食い込んでいる印象があって、淡々と勝ち上がっていく。それはなんでかな、奪われたらすぐに下がってゴール前を厚くしている。そういうこともしていくべきなのかなとか。チームの勝利とか、タイトルっていうのはすごく意識するようになりましたね」
川崎の歴史で、日本人10番は史上初。
2016シーズンこそ、初タイトルを掴み取りたい。さらに今年は、リオ五輪アジア最終予選が行なわれ、それを勝ち抜けば、8月にはリオ五輪本大会が待っている。自身にとって間違いなくビッグシーズンとなる――そう考えていた時期での提案だったから、運命めいたものを感じないわけにはいかなかった。
「最終的には、そういうタイミングなのかなって思って。この番号を背負えば常にプレッシャーは感じると思いますけど、背負う以上は覚悟を決めたというか」
'97年に富士通サッカー部から川崎フロンターレに生まれ変わって以来、20年の歴史において、日本人選手が10番を担うのは初めてのことになる。
ベッチーニョ('97、'98年)、ティンガ('99年)、マジーニョ('00年)、リカルジーニョ('01年)、アイルトン('01年)、マルキーニョ('02年)、ジュニーニョ('03~'11年)、レナト('12~'15年)、アルトゥール・マイア('15年)
とりわけ9シーズン在籍したジュニーニョと、昨季途中までプレーしていたレナトの印象が強く、川崎の10番と言えばアタッカーというイメージが濃い。それが「嘉人さんが10番を付けるべきなんじゃないか」という考えにもつながっていたが、背負うと決めた以上は、自分のカラーに染めていくつもりでいる。