サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
代表でPK失敗、レスターでは控え……。
岡崎慎司が飛躍のために歩む苦境。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2015/11/23 10:30
実戦で勘を養ってこそ輝く岡崎にとって今は苦しい時期だが、何度も苦境から復活してきた姿は印象に残っている。
好調レスターで繰り広げられるチーム内競争。
そのためには、クラブの歴史に残るストライカーとしての地位を築いたマインツを離れることが最適だと思った。もちろん、マインツを離れたらまた同じような地位を一から築かないといけない。特にプレミアリーグに移れば、対峙するディフェンダーの能力も上がる。ゴールを決めるためのハードルはさらに上がっていく。
だが、それこそ望むものだったのだ。
今年5月末、マインツでのシーズンを終えたあと、彼はこう話していた。
「ドイツに来てからは“絶対に無理だ”と思ったことがないので。もちろん、ブンデスリーガだって活躍するのが簡単な場所ではないですよ。でも、いつか絶対に成功できると思っていたし、その可能性があった。だからこそ、『これが無理なのか』と思うくらいの場所に身を置きたいんですよ」
プレミアリーグで3位につけるレスターに帰れば、12ゴールを決めて得点ランキング首位につけるバーディーと、7ゴールで2位タイにつけるマフレズが岡崎の目の前に立ちはだかる。屈強なディフェンダーだけではなく、チームの中でも競争がある。そこでポジションをつかみ、理想通りの戦いが出来ない状況でも自らの力でチームを勝たせられるような選手になるのは簡単ではない。
高校、J、ブンデス……周囲の予想を跳ね返し続けた。
ただ、彼は周囲の予想を跳ね返してきた。
滝川二高に入学した時には、高校3年間にわたって試合に出られないだろうという監督の言葉を跳ね返して、1年生から高校選手権で活躍した。清水エスパルスに入団したときには、8番手のフォワードという立場からエースに登りつめた。ドイツで2年半を過ごしたシュツットガルトでは失格の烙印を押されながら、そのあとに移籍したマインツでゴールを量産した。
彼のキャリアを振りかえってみれば、今の状況がそれほど悲惨なものには見えないのだ。