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ロイヤルズ旋風とGMの手腕。
~ワイルドカードからのリーグ優勝~ 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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photograph byGetty Images

posted2014/10/18 10:40

ロイヤルズ旋風とGMの手腕。~ワイルドカードからのリーグ優勝~<Number Web> photograph by Getty Images

オリオールズを破りワールドシリーズ進出を決めたロイヤルズの青木宣親。最終戦でも「2番・右翼」でスタメン出場し、チーム2点目のホームを踏んだ。

'70年代のロイヤルズも、スモールベースボールだった。

 それよりも注目したいのは、'70年代中盤のロイヤルズのチームカラーだ。

 '76年のロイヤルズは、ア・リーグ12球団中、本塁打数が11位で、盗塁数が2位だった。これは、監督ハーゾグが、広い外野と人工芝の本拠地ロイヤルズ・スタジアム(現カウフマン・スタジアム)の特性に眼をつけた結果だ。彼は、足の速いラインドライヴ・ヒッターで打線を固めた。フレディ・ポーテク(身長160センチの遊撃手)、エイモス・オーティス、ハル・マクレイ、ジョージ・ブレット(のちの3割9分打者)といった主力は、いずれも20盗塁以上を記録している(ポーテク以外は150安打以上)。このチームカラーが現在に継承されていることは(いや、あらためて蘇ったというべきか)あえて指摘するまでもないだろう。

 '76年、'77年と、ロイヤルズはALCSでヤンキースに惜敗した(どちらの年も2勝3敗)。レギュラーシーズンで102勝の好成績を残した'77年などは、ワールドシリーズ初制覇の可能性もささやかれたくらいだった。

1995年から2012年までで、勝ち越したのは1度だけ。

 ア・リーグ西地区4連覇を逃したハーゾグが去ったあとも、ロイヤルズは堅調を維持した。'80年にはALCSで怨敵ヤンキースを倒し、ワールドシリーズに初進出を果たした(フィリーズに2勝4敗で敗北)。シリーズ初制覇をもたらしたのは、'81年、フライに代わって監督に就任したディック・ハウザーだった。

 '85年のロイヤルズは、若手投手陣が獅子奮迅の働きを見せた。21歳のブレット・セイバーヘーゲン、22歳のマーク・グービザ、23歳のダニー・ジャクソン。抑えの切り札はサブマリン投法のダン・クイゼンベリー(32歳)だった。31歳を迎えたブレットは184安打を放ち(3割3分5厘)、ウィリー・ウィルソンとロニー・スミスはともに40盗塁以上を記録している(年齢はいずれも開幕時)。

 ところが1990年、GMのジョン・シュアホルツがブレーヴスへ転出すると、チームはなしくずしに弱体化した。'95年から2012年までの18年間などは、勝ち越したシーズンが1度だけ('03年)。カルロス・ベルトラン、ザック・グリンキーといったスターはときたま出現したものの、「弱いロイヤルズ」のイメージはすっかり固定されていた。

【次ページ】 ロイヤルズを気長に再建した、デイトン・ムーアGM。

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