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フォルランと柿谷のコンビを長居で。
超大物がもたらす得点、集客、成長。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byREUTERS/AFLO
posted2014/01/30 10:45
昨年11月の代表の試合で、衰えぬフィットネスを見せ付けたフォルラン。世界のトップFWがJで見せるプレーに期待したい。
1月に桜が開花したようなビッグニュースが舞い込んだ。Jリーグの話題で、これほどストレートなワクワク感を抱くのはいつ以来だろう。
セレッソ大阪が世界的ストライカーとして知られるウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランを獲得したのだ。
1979年生まれのフォルランは現在34歳。日本でいえば小野伸二や稲本潤一、小笠原満男ら“黄金世代”と同じ年齢だ。
ウルグアイの首都モンテビデオでサッカーエリートとして生まれ育った。祖父は元ウルグアイ代表監督。父のパブロ・フォルランはブラジルのサンパウロFCやクルゼイロでもプレーしたことのある選手で、ウルグアイ代表として2度のワールドカップ出場歴のある名選手である。
ただ、少年時代のフォルランの家は、交通事故で足の自由を失ってしまった姉の治療費がかさみ、経済的に苦しかったという。
ビジャレアル、アトレティコで2度のゴールデンシューに。
家計を助けるためにプロサッカー選手になることを決意し、15歳の時にウルグアイの名門ペニャロールの下部組織に加入。その後、アルゼンチンのインデペンディエンテとプロ契約を結び、頭角を現す。
2002年1月にアレックス・ファーガソン監督率いるマンチェスター・ユナイテッドに加入。そこでの活躍はめざましいものではなかったが、2004年夏に加入したスペインのビジャレアルでは、2004-2005シーズンに38試合25得点でリーグ得点王になり、ゴールデンシュー(欧州リーグ最多得点者)にもなった。
2007年夏には同じスペインのアトレティコ・マドリーに移籍し、ここでも得点を量産。特に2008-2009シーズンには33試合32得点という素晴らしい成績で、自身2度目のリーグ得点王と2度目のゴールデンシューに輝いた。
クラブでの活躍もさることながら、日本ではウルグアイ代表での活躍がよく知られている。