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<イチロー、運命のオリックス入団> ドラフト秘話 「本当は1位指名もあった」
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2013/10/24 06:00
そして不思議な運命の糸に導かれ、オリックスに入団する。
'91年ドラフト会議の当事者が、知られざる舞台裏を明かした。
8月に日米通算4000本安打を達成したイチロー。日本が誇る最強打者を
数字で紐解いたNumber836号より、プロ入りの秘話を全文公開します。
第4回選択希望選手――。
パンチョ伊東さんの甲高い声が響き渡る。
オリックス、鈴木一朗、18歳、投手、愛知工業大学名電高校。
イチローはドラフト4位で指名された。この日、伊東さんが呼んだ41人目の名前だ。
1991年11月22日、ドラフト会議。
イチローを4位で指名することになるオリックスのこの年のドラフト戦略を、当時のスカウト、当銀秀崇さんがこう語る。
「その前年に長谷川滋利を1位で指名して、彼が新人王を獲ったから。あの年は野手を整備しようという狙いがあって、ウチの1位は関西学院大学の田口壮、ここは揺らぐことはなかったわな」
オリックスはドラフト前日のスカウト会議でシミュレーションを行なった。1位入札を外した場合、2位入札を外したらとさまざまな可能性をホワイトボードに書き込んでいく。当銀さんがその日の様子を再現してくれた。
「1位の田口は囲い切ったつもりだけど、巨人、阪神、日本ハムがまだ下り切れずにいた。もし田口を外したら誰に行くかというので、ピッチャーではなく野手だということになって、イチローが候補の一人に挙がってきた」
鈴木一朗のミート力に、当時の編成部長が惚れた。
スカウト会議でVTRが流される。収録されていたのは、立て続けにセンター前へ弾き返すイチローのバッティングの映像だった。
「イチローは2年夏と3年春に甲子園へ出てるから、スカウトは見てる。でもセンバツにはピッチャーとして出てきたから、みんなピッチャーとしてしか評価してないし、バッティングでもそんなに目立っていたわけじゃないからね。でも、イチロー担当の三輪田(勝利)スカウトからは、イチローはバッティングの方がいいという報告は来とったんです。だから夏の終わり、当時の編成部長だったかな。中田(昌宏)さんがイチローを名電まで見に行った。
そしたら中田さんが珍しく興奮して帰ってきたんだよ。『あんなのは初めて見た』って絶賛するんだ。普段、あんなふうに褒めない人が、イチローに惚れちゃってね。『とにかくすごい、100パーセント芯から外さない』『バッティングを見とっても、9割がライナー性の当たりだ』って。『鈴木は3位でいかないと獲れんぞ』という話やった」
しかし同時に、東海大甲府の内野手、萩原淳も外れ1位の候補に挙がる。高校通算25本のホームランを放った右打ちのスラッガーだ。当銀さんが言う。