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松坂大輔とマーク・プライアー。
~復活に懸ける32歳の天才投手~ 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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photograph byGetty Images

posted2013/07/27 08:01

松坂大輔とマーク・プライアー。~復活に懸ける32歳の天才投手~<Number Web> photograph by Getty Images

18勝を挙げた2003年、カブスでの雄姿。マーク・プライアーがふたたびメジャーのマウンドに還ってくる日は来るのか。

あの変事さえなかったら、ブライアーの運命も……。

 ポストシーズンのプライアーは、さらにめざましい好投を見せた。わけてもNLDSの第3戦、ブレーヴスを相手に133球の完投勝利を収めた試合などは圧巻というほかなかった。被安打=2、奪三振=7、自責点=1。23歳のプライアーは、青天井の可能性を秘めていた。

 ところが、運命は一変する。2003年10月14日、NLCSの第6戦。カブスはマーリンズを追いつめていた。ワールドシリーズ進出まではあとアウト5つ。プライアーは、7回まで相手を無得点に封じ込めていた。

 それなのに、8回1死から変事が起こった。プライアーの四球とワイルドピッチが原因だったのだろうか。なんでもない遊ゴロをはじいたアレックス・ゴンザレスの責任だろうか。それともやはり、レフトのファウルフライを捕ろうとしたモイゼス・アルーに、客席から邪魔をしたスティーヴ・バートマン青年が呪われるべきなのだろうか。

 あまりにも有名な逸話なので、くわしくは書かない。カブスは逆転負けで夢を断たれ、プライアーは翌年から相次ぐ故障に悩まされつづけることになる。まったく、あの変事さえなかったら、プライアーの運命も……。

相次ぐ故障、そしてマイナーでも結果がでない日々。

 翌年の春、プライアーは開幕前にアキレス腱を痛めた。ついで肘がおかしくなり、肩が壊れた。'04年が6勝、'05年が11勝。表面的にはそこそこの数字を残したものの、内容はもはや別人だった。そして06年、彼は1勝6敗、防御率=7.21という惨憺たる数字とともにメジャーの舞台を去ってしまう。大リーグ最後の登板は'06年8月10日の対ブルワーズ戦。プライアーは4個の四球を与え、5点を奪われて3回で降板したのだった。

 その後しばらく、彼に関しては故障と治療のニュースだけが耳に飛び込んできた。最大の患部は肩。'07年には、ジェームズ・アンドルーズ博士の執刀で肩に7個のボルトが埋められたが、回旋筋や前部皮膜の故障は癒えなかった。カブスを去った彼は、パドレスと契約を結ぶが、メジャー復帰はかなわない。'08年、'09年と空白がつづき、実戦のマウンドに戻ったのは2010年になってからのことだ。ただし、舞台は独立リーグ。

 プライアーが独立リーグで野球を再開したというニュースは、当時、かなり大きく報じられた。行き先は、故郷サンディエゴに近いオレンジカウンティ・フライヤーズ。体調がよいときの彼は、11イニングスを投げて、アウトの半分以上を三振で飾っている。同年、プライアーはレンジャーズとマイナー契約を結び、AAAで投げるが、結果を残せない。

 いや、肩が痛くて投げられなかったのだ。'10年が1イニング。'11年がヤンキース傘下のAAAで1イニング。'12年がレッドソックス傘下のAAAで25イニングス。投球回数を見るだけでも、その苦しみは伝わってくる。

【次ページ】 これが最後だ、とつぶやきつつマウンドに登ってきた。

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