オリンピックへの道BACK NUMBER
2012年ロンドン五輪に向けて再始動。
不屈の柔道家・野村忠宏の挑戦。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2010/07/06 10:30
北京五輪代表選考会を兼ねた2008年4月の全日本選抜体重別選手権男子60キロ級の準決勝で浅野大輔に敗れた野村忠宏。悔いを拭い去るため、再起をかけた挑戦が始まる
柔道60kg級の野村忠宏が、7月24、25日にモンゴルで行なわれるワールドカップに出場することになった。約9カ月ぶりの実戦である。
野村は今年12月で36歳を迎える。ほとんどの柔道家が20代後半から30歳前後で現役を退く中、今なお現役を続行しているのは異例だと言える。
まして今大会は、自費で遠征しての出場である。現在、全日本柔道連盟の強化指定選手から外れているため、遠征費用などが出ない。それでも現役にこだわり続けるのは、今なお消えない苦い思いがあるからだ。
野村は、初めてオリンピックに出場した1996年のアトランタ大会から五輪3連覇を果たしている。3連覇は日本選手史上初であり、柔道では全世界で唯一である。
'04年のアテネ五輪のあと、野村はさらに連覇を伸ばそうと、北京五輪へと照準をあわせていた。
「自分の力はもう通用しないという答えが出てこなかった」
暗転したのは、'08年4月のことだ。北京五輪代表の選考大会である全日本選抜体重別選手権準決勝で敗れたのだ。この結果、五輪代表から外れ、五輪4連覇の夢も潰えた。
このとき33歳。敗れた直後には「引退へ」と報道が流れた。だが、野村の心は違った。
実はその前年、右膝前十字靱帯断裂の重傷を負っていた。「間に合わなくなるから」と手術せずに練習を続けていたが、本来の調子とはほど遠い状態にあった。そのため、敗れた試合では、どこか力をセーブしたきらいがあった。それが不完全燃焼となって残った。
以前、その試合を振り返る中で、野村は言ったことがある。
「俺はあんなもんじゃない。負けたあとに考えて、自分の力はもう通用しないという答えが出てこなかった」
「自分自身と柔道を裏切った」
だから、引退という文字も、心に浮かばなかった。
その言葉どおり、手術とリハビリを経て練習を再開する。復帰後、初の大会となったのは'09年10月にアゼルバイジャンで行なわれたワールドカップだった。だが野村は感覚が戻りきっていなかったのか、初戦で敗退。
その翌月に出場を予定していた講道館杯は、故障で欠場する。すると、強化指定選手から外された。日本代表の座はさらに遠のいた。
それでも諦めることはなかった。年が明けてからは、連盟の許可を得て、全日本強化合宿に自費で参加。そして約9カ月ぶりの実戦となったのである。