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社会人を経てドラフト5位でDeNAへ。
攝津に続け!遅咲きの花・安部建輝。 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byNIKKAN SPORTS/AFLO

posted2013/01/02 08:01

社会人を経てドラフト5位でDeNAへ。攝津に続け!遅咲きの花・安部建輝。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS/AFLO

DeNAから5位指名を受け、会見する安部建輝。近大附高の後輩である鶴直人(阪神)や近大の巽真悟(ソフトバンク)、同じNTT西日本から西武に1位指名された増田達至など、“ライバル”たちとの対戦にも注目が集まる。

 同世代の出世頭は、今、アメリカにいる。

 メジャー1年目にして16勝を挙げたダルビッシュ有である。

 ダルビッシュが早咲きの花とするならば、彼は、今、まさに、花弁を開かせようとしている遅咲きの花といえるのかもしれない。

 2013年、横浜DeNAのルーキー・安部建輝のことである。昨秋のドラフトで横浜DeNAが5位指名。26歳という年齢を考えても、ラストチャンスでつかんだ念願のプロ入りだった。

「正直、指名されるとは思っていなかったので、ビックリしている」

 安部はそう語ったというが、彼のこれまでの道のりを振り返れば、その言葉の重みは痛いほど理解できる。それほど、これまでの道程にはイバラが敷き詰められていた。

1学年下の鶴直人にエースナンバーを譲った高校時代。

 2002年、高校野球の名門・近大附高に進学。1年秋からベンチ入りし、チームは翌春のセンバツに出場したものの、出番はなし。2年の秋にはエースの座をつかんだが、1学年下の鶴直人(阪神)の台頭に、高校3年夏はエースナンバーを鶴に譲った。

 高3時には、140キロ前後のストレートと多彩な変化球を投げ、エースに相応しい能力を携えていたが、中学時代からのスーパースターで、「ナニワの四天王」として注目されていた鶴の前に後塵を拝するしかなかった。ちなみに、鶴はその夏の大阪府大会1回戦・天王寺商戦で11者連続三振という伝説的なピッチングを見せている。

 高校卒業後は近大へ進学する。しかし、ここでも、厚い選手層の壁に苦しめられた。

 近大の主戦を張ったのは細身の身体から140キロ後半のストレートと垂直に落ちる高速スライダーを投げ込んだ巽真悟(ソフトバンク)だった。安部は2年春に初めてベンチ入りを果たすも、数多くいるベンチ入りメンバーの一人にすぎなかった。3年春に、23奪三振記録と無安打無得点試合を樹立した巽の壁は厚かった。

 巽だけではない。4年時には左腕の滝谷陣(日本新薬)、右サイドハンドから140キロ台の速球を繰り出す谷口友基(東邦ガス)といった同級生が台頭すると、3人は「3T(3人のイニシャルをとって)」として騒がれ、安部は完全に蚊帳の外となった。

 大学4年間で、勝ち星は一つのみ。

 安部の存在を知る人は決して多くなかった。

【次ページ】 NTT西日本時代の恩師が語る、大学時代の印象。

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