フットボール“新語録”BACK NUMBER
若きサムライがロシアU-18代表に。
Sモスクワ・篠塚一平、17歳の夢。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2012/12/13 10:31
取材を行なったロシア料理レストランにて。スパルタク・モスクワのシャツを着ていたため、レストランの店員に「スパルタクの選手なのか?」と声を掛けられていたが、動ぜずロシア語で会話をしていた。
ほぼ話せなかったロシア語もわずか1年で習得。
実はすでに夏の時点で、篠塚にはロシアU-17代表から声がかかっていたのだが、「書類がそろわなかった」という理由で、結局うやむやになってしまった。それだけに今回も、最初は半信半疑だったのだ。
ただし、今回は問題なさそうである。
「まずスパルタクのドクターから電話がかかってきて、『この番号で合ってるな?』と確認があって。すぐにロシアU-18代表のドクターから連絡があり、ロシアのパスポート番号と保険番号を訊かれました。で、12月20日から合宿が始まり、1月5日に大会が始まるという日程の説明があったんです」
ちなみに篠塚はモスクワに移住するまで、ロシア語をほぼ話すことができなかった。幼いときに、母親とロシア語の単語をいくつか勉強した程度である。にもかかわらず、モスクワではいきなり現地の学校に通い始め、わずか1年で流暢にロシア語を操れるようになった。もちろんテストも宿題も、すべてロシア語。そういうコミュニケーション力があるからこそ、ロシアサッカー協会も躊躇なく招集できるのだろう。
「呼ばれるかもしれない」という予感はあった。
この年末、篠塚は日本に一時帰国しようと考えていた。卒業を控えた高校の同級生たちに会いたかったからだ。だが、ロシアU-18招集という嬉しい誤算によって、年末はロシアで過ごすことになった。
「ちょうど招集される前日、日本行きの航空チケットをインターネットで予約したところだったんですよ。でも、うっかりしていて、名前の表記を間違えて、キャンセルしなければいけなくなった。ややこしい話ですが、篠塚のSHIはロシア語ではSIという表記で、いつも学校ではSIを使っている。だから間違えてしまったんです。でも、そうしたら帰国しないことになった。何か運命的なものを感じました(笑)」
バレンチン・グラナトキン・メモリアルという国際大会の存在を知らなかったこともあり、これほど早く招集が実現するとは思っていなかったが、篠塚には「来年あたりに呼ばれるかもしれない」という予感はあった。
10月のロシア・クラブユース全国大会で2ゴールを決めて、「大会ベストMF」に輝いていたからだ。