南ア・ワールドカップ通信BACK NUMBER
デンマーク戦を越え決勝Tへ進むには、
元祖“W杯男”稲本潤一が必要だ!
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byFIFA via Getty Images
posted2010/06/22 10:30
「今回はサブ組が頑張っているよ。イナや憲剛らが明るく盛り上げているし、チームはすごくイイ感じやもん」
遠藤保仁が言うように、今回は中堅、ベテランの選手がサブを引っ張っていっている。中でも稲本潤一は、おとなしいチームにあって、ムードメーカー的な存在になっている。
「以前のようにおちゃらける感じではないけどね。もう年齢的に上なんで、練習中から声かけたり、食事会場で話をしたり、普通にやれることやっている感じやね」
稲本は、今でこそサブに甘んじているものの、かつては「W杯男」と呼ばれていた。
日韓W杯の勝利で一躍全国的なヒーローになった男。
2002年、日韓W杯の初戦ベルギー戦で自身の初ゴールを決め、ロシア戦では決勝ゴールを決めて一躍ヒーローになった。その活躍で「旬な男」になり、稲本の名前は一気に全国区になった。当時、所属していたアーセナルからフルハムへの完全移籍も手に入れることができた。W杯の恩恵を最も堪能した選手だったのである。
「ドイツW杯も、もちろん日韓大会の再現を狙っていた」という稲本。
だが、W杯予選途中の親善試合イングランド戦で骨折し、福西崇史にポジションを奪われた。そのため、2006年ドイツW杯はクロアチア戦の途中出場、ブラジル戦のフル出場の2試合に終わり、チームもグループリーグで敗退。稲本は、日韓大会のような強烈なインパクトを残せず、2度目のW杯を終えた。
3度目のW杯は怪我で阿部にポジションをとられたが……。
そして、3度目のW杯となる南アフリカ大会、最終的に代表の椅子は獲得したものの、またしてもケガで出遅れ、阿部勇樹にポジションを奪われた。そして、W杯本番までポジションを取り戻すことはできなかった。
「まぁここまで(W杯の試合直前)来てしまうと、もうアピールとかはないよ。監督も調子のいい悪いで多少は判断するかもしれないけど、もう選手の特徴は分かっているんで、この選手とこの選手が合うとかいうのを考えて決めている。その中でも、やっぱりコンディションのいい選手を起用しているんで、そこはしっかりキープして、ちょっとでも試合に出たいね。せっかく、こんな遠い南アフリカまで来てんねんから」
サブ組になっても稲本は、不平そうな表情を一切見せなかった。試合に出たい気持ちは当然あるが、それを前面に押し出すことはなかった。むしろ、年長者であることを自覚し、チームのサポート役に撤していた。ドイツ大会までと異なる立場にはなったが、人間的に成長した稲本が、そこにいた。