野球クロスロードBACK NUMBER
離脱者続出のヤクルトを一場が救う!
プロ野球人生を懸けた最後の戦い。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2011/10/05 12:05
最速154キロのストレートだけでなく、スライダーやカットボールなど様々な変化球を持つ一場靖弘。
敗戦処理での登板ではある。しかし、一場靖弘にとっては、1点リードで迎えた最終回のマウンドを託されるのと同じくらいの緊張感があったはずだ。
ヤクルト12連戦の初戦となる10月4日の阪神戦。2対9と7点ビハインドの7回、一場は5番手として、今季4試合目となるマウンドに上がった。
成長。彼の投球内容を語るとすれば、このひと言に尽きる。
7回を三者凡退に打ち取って迎えた8回。先頭の鳥谷敬に四球を与えはしたが、続く4番・新井貴浩をショート併殺打に仕留めるなど、この回も無難に3人で抑えた。
昨年までの一場なら、きっと鳥谷に四球を出した時点で崩れていただろう。だが、この日は違っていた。いや、このシーズンは違っていたと言ったほうが正しい。
「今年がダメなら……という気持ちも正直ありましたけど、今はこうやって一軍で投げさせてもらえているので結果を残すだけです」
背水の陣となる7年目。一場はセットアッパーとなったことで、ようやく自分らしい投球と巡り合うことができた。
スター街道から急転した、野球人生。
アマチュア時代の一場は輝いていた。
桐生第一時代は2年の夏に全国制覇を経験。明治大でも1年から先発として投げ、東京六大学通算26勝。4年の日本選手権では、大会史上4人目の完全試合も達成した。
最速154キロの速球で相手を圧倒する様は、今でいう、菊池雄星や斎藤佑樹のようにスター性を感じさせるものがあった。
ところが'04年夏、ドラフトの目玉と騒がれていた矢先のことだった。複数の球団から「栄養費」と称した金銭を受け取ったとして、大学最後となる秋のリーグ戦を出場辞退。輝きを放っていた一場は一転、“アンチヒーロー”として世間から注目を浴びてしまう。
一時は日本球界入りが危ぶまれていたが、幸運にも同年に楽天が誕生したことにより、自由獲得枠で入団することはできた。しかし、彼の試練はここからが本当の意味でのスタートとなった。
「15勝と新人王」を掲げた1年目。チームからも先発投手として期待されながら、わずか2勝。2年目は、岩隈久志の故障により開幕投手を任され、実質エースとして働いたが7勝14敗と大きく負け越した。3年目は前半戦を棒に振るも後半戦だけで6勝と最低限の結果は残したが、4年目は未勝利。そして5年目の2009年春、一場はトレードでヤクルトへ移籍することとなった。