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【追悼・木内幸男監督】「勝って不幸になる人間はいない」常識を超えた60年の指導法とは
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byShigeki Yamamoto
posted2020/11/25 06:01
県大会準決勝で藤代に破れ、球場を後にする木内。陽気な中にも寂しさが覗いた
練習では木内監督のがなり声が鳴り響く
木内の「口撃」は容赦ない。たとえば以前、練習試合をしているときも、煙草を片手に、ひっきりなしに大きな声を張り上げていた。
捕手との呼吸が合わず、投手がプレートを外すと――。
「ダメ! 放らなくちゃ! 頭、使うことねーんだよ!」
投手が打ち込まれ、内野陣がマウンドに集まると――。
「集まる必要ねえよ! 力がねーんだよ! 必要ねえって! いたわる必要なんかねって言ってんだよ!」
練習中も基本的にはこの調子だ。夕方4時から夜7時まで、3時間の練習のうち優に1時間はマイクを片手にがなっている印象である。そのため常総学院の練習グラウンドは、いつ訪れてもスピーカーを通した木内の声がぐわんぐわん反響していたものだ。
「おい、サードランナー! おまえ、おい、おい! 言ったろ! サード側に転がったらツーランスクイズ、できるって言っただろ! なんでスタートしねんだよ。あんなバカ、高校生の中に入れるんじゃねーよ!」
「監督とケンカして勝てば打てるし、負けたら打てない」
それに対し、選手もただ黙っているわけではない。
「うっせー、クソジジイ!」
「死ね、クソジジイ!」
そう監督を罵倒するのだ。木内は木内で、それを聞こえなかったかのようにやり過ごす。松林が説明する。
「たぶん、喜んでるんだと思いますよ。そういう気持ちになるのを待っているところがありますから。ある意味、ケンカですよ。監督とケンカして勝てば打てるし、負けたら打てない」
木内とは50年来の付き合いになる持丸修一は、そんな木内のことを次のように評する。持丸は竜ヶ崎一高や藤代など茨城県内の監督を歴任し、現在は専大松戸(千葉)の監督を務めている。木内が'03年夏に勇退し、'07年秋に復帰するまでの4年間、常総学院でも指揮を執っていた。
「普通の監督は、子どもに、だまされまい、だまされまいってやるでしょ。木内さんがすごいのは、だまされた振りができること。そうやって選手が気づかないうちに、手のひらの上で転がしてるんですよ。でなきゃ、代打なんて、普通、打たないんですよ」
'01年春の選抜大会で優勝したときの主軸、横川史学(現楽天)は、もっとも印象的な采配として3年夏の茨城大会の決勝戦を思い出す。
「水戸商に途中まで1-6で負けてたんです。そうしたら6回裏、三塁コーチャーとか1年生とか、3人ぐらい代打を送って、一気に4点とったんです。次の回も4点。それで9-7で勝ったんですけど、どうしてあそこであんなにパッパッパッと代打を出せるのかな、って」
頻繁な選手交代。これぞ木内マジックの代名詞だ。練習試合では、優に20人以上は使っていたこともある。
「今日は25人ぐらい出ましたか? ゲーム経験を積ませるには、原っぱでやってちゃダメなんですよ。実戦じゃないと。グァハハハハハハハ」