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【追悼・木内幸男監督】「勝って不幸になる人間はいない」常識を超えた60年の指導法とは
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byShigeki Yamamoto
posted2020/11/25 06:01
県大会準決勝で藤代に破れ、球場を後にする木内。陽気な中にも寂しさが覗いた
勇退を決断するに至った本当の理由とは
木内が勇退を決断したのは、この4月だった。
「理事長に『どうだい?』って聞かれたから『もう、無理だ』って。復帰したとき『グラウンドで倒れろ』なんて言われたもんだから、倒れるまでやめられねえんだって、自分からは言わなかったんですけどね。聞かれたら、ダメだって言うしかないでしょう」
まだ監督を続けたかったようにも受け取れる言い方だった。それでいながら、学校側のそろそろ後進に道を譲ったらどうかという空気を感じ取り、自ら辞めると申し出ることで、波風が立つことを回避したのかもしれない。
もちろん、そうであったとしても、学校サイドも木内の身を案じてのことだったのだろう。木内は、あっけらかんとカミングアウトした。
「前立腺ガンだからな。2、3年前から、大学病院、待たせてあるんだ。年だからもうガンは進まないって言われてたんだけど、進んじゃった。治療するなら、今しかねんだ。年だから手術はやってくんないんですけどね」
この夏の木内は、顔や首のあたりがひどくむくんでいた。それも薬の影響だったのかもしれない。
「辞めちったら、治す意味もねんだけどな。あは」
実は2003年に一度目の辞任をしたとき、直後、腎臓にガンが見つかり、手術を行なっていたのだ。
「俺の体は不思議だよー。あのときは、辞めたら、すぐ見つかったんだもん」
木内が常々「麻薬だよ」と語る野球を断った途端、再び何らかの形で「禁断症状」が出ることを怖れているようでもあった。そして、こう小さく開き直った。
「野球を辞めちったら、治す意味もねんだけどな。あは」
その言葉だけは、どれだけふざけてみても、冗談には聞こえなかった。