カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:スキポール空港(オランダ)「ベンゲルとの遭遇」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2005/03/01 00:00
バルセロナからアムステルダムへ向かう機上、
夢うつつな僕の頭の中でBGMのように駆けめぐる声。
フランス語訛りのその英語には聞き覚えがあった。
チェルシーサポーターが、ロンドン行きの便に乗り換えようと、空港内のコンコースを歩いていると、ブルーと白の縦縞集団と鉢合わせした。縦縞の中には、奇妙ないくつかの赤いハート印が混じっている。チェルシーサポーターはすれ違い様、怪訝そうな顔を浮かべた。こいつらいったいどこ? きわめて暢気そうに見えるそのユニフォームの正体はヘーレンフェーンで、彼らはニューカッスルへアウェー戦を観戦に向かうところだった。火曜日、水曜日にチャンピオンズリーグが終わると、翌日の木曜日にはUEFA杯が行われる。
コンコースには、グリーンと白の縦縞を着た旅行者たちの姿も目についた。この日、ロッテルダムでフェイエノールトとUEFA杯を戦うスポルティング・リスボンのサポーターである。チェルシーサポーターも、この名門には敏感に反応した。すれ違い様、軽いノリで頑張れよってな感じで声を掛け合った。アムステルダムのスキポール国際空港は、さながら、欧州クラブサポーターの交差点と化していた。
バルセロナ発、アムステルダム・スキポール行きのKL便は、日本人サッカー系旅行者も数多く乗せていた。それはアリタリアやエールフランスなども同じ有様で、バルセロナ空港の各社チェックインカウンターは「彼ら」の姿で大賑わいだった。学生の旅行シーズンが始まったこの時期は、もう何年も前からこんな状態が続いているので、もはや驚きはしないが、そこに日本の現状、つまりジーコジャパンの戦いぶりを持ち出すと、違和感は途端に膨らむ。ジーコにも、彼らと同じくらい外への好奇心があれば、日本代表のサッカーの質は、もっと上がっているはず。僕は、いまからでも遅くないから、ジーコに変わる新監督を探すべきだと思っている。時代から、日本のサッカーが遅れている様子は、日本人のサッカー系旅行者を通してみると、よりハッキリ見て取れる。
そんなこんなを思いながら、KL便の座席に身を委ねると、お約束のように睡魔が襲ってきた。バルセロナからアムステルダムに到着するまでの2時間強、僕はすっかり夢の中を彷徨っていた。そして、なぜかその間、僕の頭の中には、どこかで聞き覚えのあるフランス訛りの英語がBGMのように絶えず駆けめぐっていた。
この火曜日に、ミュンヘン五輪スタジアムでバイエルンに不甲斐ない敗戦を喫したアーセナルの将、といえばお分かりだろう。アーセン・ベンゲル監督の声である。
98年フランスW杯で3連敗を喫した岡田監督に続投の意思がないことを確認すると、日本サッカー協会は、このアーセナルの監督の元に走った。代表監督就任を要請するためにだ。もちろん、彼は断るのだが、そこで登場した名前がトルシエだった。彼は、ベンゲルから紹介された人物だとされている。が、僕にはそれがとても怪しく思えてしかたがない。少なくとも積極的に推したはずはないだろう。なぜなら、ベンゲルとトルシエではサッカーのスタイルがあまりにかけ離れているからだ。ベンゲル路線で行っていれば、日本のサッカーがいまのような流れに陥ることはなかった。いまからでも遅くない。ベンゲル路線に回帰すべしと、強く思うこの頃だったが、アーセナルの対バイエルン戦の戦いぶりを見ると「路線」どころか、ベンゲル本人の線も現実味を帯びてきているように思う。アーセナルとの契約はまだ残っているが、客観的に見て、両者の別れ時は刻々と迫っている気がする。口説くなら、アーセナルとの関係に末期的な匂いがする今をおいて他にない。
日本代表の将来を案じる僕の頭は、その時、ベンゲル一色に染まっていた。だから、夢の中にベンゲルの声がずっと登場していたのだろう。着陸の振動で目を覚まし、正気になった僕は、一瞬そんな思いに浸った。だが、ほぼ同時に、おかしな事にも気がついた。ベンゲルのドゥベドゥベした英語は、相変わらず響いていて、なんと僕の隣に座るイギリス人が、それに相槌を打っているではないか。話の内容は、完全にサッカーである。僕は眠い目をこすりながら、隣を挟んだ席に座る声の主を一瞥した。そこにはベンゲル本人が座っていた。驚いたことに。
ミュンヘンでバイエルンと戦った後、彼はチームと別れ、バルセロナへ行き、バルサ対チェルシーを観戦した。僕と同じ行動をとったのである。バルサ対チェルシーはサッカー好きには堪えられない必見のゲーム。しかしながら、彼は自軍の大一番に絶望的な敗戦を喫し、今頃はショックで寝込んでしまっていてもおかしくない敗軍の将だ。彼はそれでもバルセロナへ飛んだ。そのサッカー好きに、僕は改めて感心した。偉い!
前日、試合が終了した時刻は22時40分。そして僕たちを乗せたKL機が、バルセロナを飛び立ったのは6時25分。睡眠はどんなに頑張っても5時間以上は望めない。僕の場合は2時間。それでもベンゲルは喋り続けた。この人、僕以上にサッカー馬鹿である事は確かだ。いや参った。やっぱりね、日本代表の監督には、こういう人物に就いてもらわないと。前々日の敗戦で、下がるところまで下がったベンゲル株は、この瞬間、ビヨーンと一気に跳ね上がった。