総合格闘技への誘いBACK NUMBER
『リング禍』を避けるために。
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph bySusumu Nagao
posted2006/10/10 00:00
桜庭和志のHERO'S欠場を聞いたとき、何とも言えない嫌な思いが胸に迫ってきた。いよいよ総合格闘技界も『リング禍』の時代を迎えることになるかもしれない、と考えてしまったからだ。
『リング禍』とはボクシング業界の言葉で、試合中のダメージが原因で引き起こった死亡事故のことをいう。
頭部を攻撃してもよいとされる格闘技は、世にあるスポーツにおいて稀有な存在であり、常に危険と隣り合わせなのは周知のとおり。ゆえに格闘技はエキサイティングで面白い、といった面はあるものの、安全面が確実に確保されていなければ、選手が背負うリスクはあまりにも高いといえるだろう。
総合格闘技の概念が生まれ、徐々に競技として成り立ってきたこの20年。技術面・戦術面はまだ過渡期にあると思えるが、選手寿命についてはその競技発展と共に延び、現在ではベテランと呼ばれる選手も少なくない。桜庭が冒された椎骨脳底動脈血流不全という症状も長年の選手生活の積み重ね、経年劣化が原因だとも聞く。ゆえに、ベテラン選手には今後より厳正な健康管理が必要になってくるだろう。
『リング禍』をなくすため日本ボクシングコミッション(JBC)は、20戦以上の戦歴がある全選手にCTスキャン検査を義務づけたり、前日計量に加え当日計量をも実施している。この当日計量は、急激な体重の増量が事故に繋がることから実施されている参考計量であり、公式記録には前日計量の体重が適用される。
しかし、それでも『リング禍』は日本のボクシング界では起こっている。完全に死亡事故を封じる手立てはないのか、と思うが、海の向こうのメキシコに目を向ければ、かの地では50年以上、ボクシングにおいて死亡事故は起こっていないという。その要因のひとつに早いレフリーストップがあると考えられているわけだが、やはり瞬時の状況を読みとるレフリーの判断が重要だということだろう。もちろんJBCでも早めのレフリーストップは実施されているものの、それでも有事は存在するわけであり、まだまだメキシコから学ぶべき部分はたくさんあるはずだ。
また競技形態は異なるが、総合格闘技界も大いに参考にしてほしいと思う。総合格闘技界における『リング禍』は、海外で数例あるのみだが、死に至らずとも網膜剥離や頚椎損傷といった通常の生活を妨げられる事故や事例に関しては枚挙に暇がない。障害をかかえ名も知られぬまま去っていく格闘家、あるいは第二の桜庭を出さないように、主催者には十分な考慮を願いたい。
金子賢がHERO'Sに参戦するニュースを聞いたのはそんなことを考えていたときだった。対戦相手はプロ格闘家の所英男。「視聴率のため」だとか「最高峰のリングに芸能人が」などといった意見もあった。確かに、桜庭や魔裟斗らと一緒に、真剣に練習をし、お墨付きをもらっているとはいえど、アマチュアや同等の選手と戦ってきたというステップを踏まずあのリングに上がるのはどうかと思う。金子が芸能人ということは、この際どうでもいい。
筆者の懸念は、まさに『リング禍』にある。実力差があるもの同士が戦えばどうなるか?一切の手抜きがないプロのリング。いくら相手の技量が劣るからといって、実力者は手心を加えるとは考えられない。
選手はアマチュア時代から年月をかけ体や技術を作っていくものだ。その過程において戦うのに重要なのは攻撃よりもディフェンス面にあることを知る。オフェンスの天才はいるかもしれないが、ディフェンスに天才なし。こればかりは実戦で積み重ねて磨いていかなければならない。
例えばプロ野球に置き換えてみよう。デッドボールがある。あれはプロ投手の球をプロの打者が見極めることで、最低限のケガで済んでいるわけだが、プロの球筋を知らない中学生や高校生が上手くよけられるとは考えにくい。わずかゼロコンマの判断、長年の野球生活で目の慣れたプロだからこその技術である。
だが、金子はアマチュア経験も少なく実戦に乏しい。そこでディフェンス面に問題があったとすれば重大事故を引き起こす可能性だってあったのだ。両者の対戦は特別ルールでグラウンド状態での頭部及び顔面への打撃は禁止されていたが、立った状態からの打撃だって危険度は変わらない。
考え過ぎ、とも思ったりするが、関係者やマスコミは、決してこれら問題についての考えを止めてはならないのである。より良いリングを作っていくためには……。