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野球ロボットから脱却せよ。 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2004/09/22 00:00

野球ロボットから脱却せよ。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

 「アメリカでは、野球選手がとても尊敬されている」

 そういったのは、野球の新天地を求めて渡ったイチローだが、そのあとにつづいた松井秀喜も去年同じことをいっていた。

 それをきいて、なぜ彼らがことさらにそのようなことをいったのかと考えていたが、この7月ひょんなことからそれが分った。

 とつぜんの球団合併と、1リーグ制移行の問題が起きたのは6月だったが、それについて、選手会会長の古田が選手会としてオーナーたちと話し合いたいと発言すると、ジャイアンツの当時のオーナーがつぎのようにいってその発言を切り捨てたのである。

「無礼なことをいうな。分をわきまえにやいかん、たかが選手が」

 つまり、日本では、野球選手というのは、つべこべいわずに野球だけやっていればそれでいいと見なされているようなのである。いうなれば、野球ロボットだ。

 僕はその発言をきいて、よくもそこまで人間を侮辱できるものだとおどろいたが、それ以上におどろいたのはその後の選手たちの反応だった。ぼくの知るかぎりでは、それに公に抗議する発言をしたのはドランゴンズの立浪一人で、その心の内は知らないが、あとの選手はみな黙って何もいわなかったのである。

 かわりに何十人もの選手からきいたのは、きまってつぎのような言葉だった。

 「ぼくらはグラウンドに集中して、いいプレーをするだけです」

 美しい言葉だが、こんどのような大問題のさなかにあっては何の意味もない言葉だ。というよりも、みずから、ぼくらは自分の意志を持たない野球ロボットですからといっているにひとしい。

 しかし、考えてみれば、日本の野球選手のこうした反応は今度に限ったことではなく、これまでもずっとそうだったのである。上の者には口ごたえをしないという体育会社会の中でずっと生きてきたせいなのかもしれないが、球界に何か問題が起きたとき、彼らが個人的な意見をいうのを、ぼくは一度もきいたことがない。ロボットのようにみなされるのは、みずからロボットのようにふるまってきたからともいえるのである。

 これでは尊敬などされるはずがない。野茂やイチローや松井秀喜といったプライドの高い選手たちは、きっとそういう日本の野球界にいたたまれなかったのだろう。そう考えると、彼が何の未練も見せずに日本から去って行ったのもよく理解できる。そして彼らはアメリカで一流の野球選手がちゃんと尊敬される場所を見つけたのである。

 しかし、日本の野球選手たちも、こんどの球団合併と1リーグ制移行の問題はよほど腹に据えかねたらしく、ストライキをもってそれに反対する意志を示した。上の者のいいなりになってばかりいるロボットではないと初めて宣言したともいえる。圧倒的多数のファンがそれを支持したのも、その意志を感じとっているからにほかなるまい。当然のことながら、彼ら選手がロボットではないことを証明し、尊敬される存在になるかどうかは、ストライキをするにせよ妥協するにせよ、その自分たちの意志をどこまで通しつづけられるかにかかっている。ファンが見ているのも、闘争の勝ち負けではなく、たぶんそこのところなのである。

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