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オーストラリア「移民の子がかなえた夢の物語」
text by
藤島大Dai Fujishima
posted2005/12/08 00:00
抜け殻がしゃべっている。
意志に満ち、迫力をたたえ、冷たいほどの威圧と若干のユーモアを忘れず、しかし、心はここにない抜け殻が。
午後5時10分。テルストラ・スタジアムの一室に、現代の巨人はやってきた。
フース・ヒディンク、前日会見。
タカやワシ、つまり猛禽の目、投げやりなような発音の英語、関節の滑らかさを欠いた動作、いつもの名将がそこにいる。
「今回の試合がこれほどの関心を集めていることが喜ばしい。フットボールは世界でナンバーワンのスポーツだ。オーストラリアでもそうなるよう希望している。明日、我々が予選を勝ち抜くことは助けになるだろう」
青いトラックスーツは、いくぶん窮屈そうだ。ピンと皺の伸び切った背中には重要な文字の並びがある。
QANTAS
カンガルーが尾翼に跳ねる航空会社である。
現在のオーストラリア代表「サッカルーズ」の主要スポンサーであり、ここ数日間、その立場にふさわしい仕事をしてのけた。
第1レグを0-1の惜敗で終えた土曜夜のウルグアイ・モンテビデオから、ざっと22時間のフライト、サッカルーズはまったく快適な空間を与えられた。協会の要請でカンタス航空はチャーター便を用意したのだ。マッサージ台、治療用のふんだんな氷、フィジオセラピスト、医師、分析用の映像、時差(13時間)克服の緻密なスケジュール、中継点のクック諸島では早朝にもかかわらず免税店が開いており空港内の庭園を散歩もできた。
ちなみにウルグアイは、ローカル便でチリのサンティアゴへ飛び、そこからラン航空の通常フライトで、ニュージーランドのオークランドを経由してシドニーへ着いた。選手の大半がエコノミー席を利用せざるをえなかった……との噂はしきりだった。
「数名のみそうだったが、すぐにビジネス席へ移れた」。関係者の否定コメントがメディアに流れたりもした。
いずれにせよ、移動方法をめぐる明暗は、ウルグアイ協会の迷走の喜劇的結末だった。はじめモンテビデオ午後3時試合開始の予定を、みずからはチャーター機を準備するつもりでオーストラリアが当日移動できぬ午後9時に変更した。やむなくオーストラリア協会(FFA)もカンタスに要請、すると、どうしてかウルグアイ側のチャーター便はかなわず、では当初に戻そうと試みて、FIFAの判断で午後6時に落ち着いた。
会見。初戦で精彩を欠いたハリー・キューウェルの状態について聞かれると、ヒディンクは、ウェルダンのステーキをナイフで切り分ける口調で言った。
「彼は絶好調ではない。それでもすべき仕事はしてのけた。明日もなにがしかの貢献はしてくれるだろう」
この言い回しをシドニーの記者たちは「キューウェル、先発から外れる」と理解した。そこまでは正しかった。しかし途中出場後の鬼神の奮闘までは予想できなかった。
会見後の練習は例によって冒頭のみ公開された。ヒディンクは、選手たちが小刻みに足を動かすウォームアップのためのマーカーをしきりにいじる。ほんの30cm、15cm。この人は、トラックスーツのコーチなのだ。
当日の朝。シドニーの街角に「グリーン&ゴールド」の隊列ができた。オーストラリアの国のカラーであるゴールドという名のイエロー、グリーンの首の縁取り、サッカルーズのシャツだ。
「オーストラリア・ユナイテッド」
地元紙、シドニー・モーニング・ヘラルドの1面大見出しである。コピーはこうだ。
「あなたの好む競技がなんであれ、あなたの信条がどうであれ、あなたがどこに暮らそうとも、今晩だけは国はひとつ」
スポーツの大一番を前にメディアがキャンペーンを張るのはオーストラリアではいつものことだ。それにしても紙面のつくりが「サッカー」の微妙な位置を示している。
Whatever your game
あなたの好む競技がなんであれ。
3行前のサッカーにカギカッコをつけたのに理由はある。オーストラリアの協会は、昨年まではASA(オーストラリアン・サッカー・アソシエーション)を正式名称とした。本年よりFFA(フットボール・フェデレーション・オーストラリア)と改められた。もはや古語に属する「サッカー」の呼称をやめたかったのだ。
オーストラリアのフットボールとは、そもそもは楕円球を用いる独自の「オーストラリアン・ルールズ」を意味した。メルボルンを中心に根強い人気を誇り、だからサッカーはサッカーと呼ばれるほかなかった。
さて先のシドニー・モーニング・ヘラルドの記事にこんな一節を見つけた。
「シドニー在住のアンドリュー・ヴァルダー氏は電話で本紙に伝えてきた。彼は、ウルグアイのチームと同じ便に乗っていた。サンティアゴからオークランドまで選手の多くはエコノミー席にいた。レコバもそのひとりだ」
テルストラ・スタジアムへ。
開門前、競技場横のホテル「ノボテル」の横の特設広場では宴が始まっていた。屋台の供するトゥイーズ印のビールをこくんこくんとやっつけ、ラムの安肉をはさんだドッグをハーモニカを吹くみたいにかじる。
「オージー、オージー」と叫んでは、発煙筒を焚いた。でも連中は危険ではない。サッカーっぽくふるまってるだけだ。モンテビデオでのキックオフ前、アルコール大量摂取の男どもを、こんなにつんとすましたホテルのすぐそばに近寄らせるはずもない。つまり、ここにいるのは、ただのシドニー市民だ。これがラグビーの応援なら「敵味方の隔てなく友情を温める」流儀にさっさと適応するだろう。
午後6時45分。ウルグアイ、芝へ。ピッチの感触を確かめる。先頭は、アルバロ・レコバ、数時間後に「82698」と発表される観衆の大部分からブーの束が押し寄せる。エル・チーノ、さもオリエンタルな風貌から中国人と称されるファンタジスタは自覚している。キャンペーンの標的は自分だ。この戦いは甘くはない。
モンテビデオでの初戦、現地紙、ラ・レパブリカは書いた。
「ウルグアイは闘牛士の衣装をまとって舞台へ飛び出した。しかし最初の15分でカンガルーを跳ねさせるのは思ったよりやっかいだと気づき、胸当てつきの作業衣に着替えた」
7時33分。キックオフ予定まで27分。
白衣の少女たちがピッチへ入場した。
合唱団。どこまでも透明な声質は、ひたすら清く正しい。なんと非サッカー的な光景だろうか。タッチライン際に整列する純白の手前では、黄と赤のカードの熱烈なるコレクターであるパオロ・モンテーロが刃をしのばせた脚で球を蹴っている。
開始直前、レコバが、腕を腰のうしろに組んだまま審判のそばをうろうろと歩いた。なんだか糸のほつれを隠しつつ価格交渉に励む絨毯商のようでもある。
キックオフ。ウルグアイは、およそ国際サッカーに関心を抱く者であれば容易に想像のつく行動を始めた。じらす。苛立たせる。冷たい目のままわめく。それから幼少より培ったノウハウのすべてを球際に結集させる。
方針は明快だ。まず守り抜く。あわよくば焦るカンガルーを罠にはめる。
すなわち毒蛇のカウンター攻撃!
(以下、Number642号へ)