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松井秀喜 静かなるスタート。
text by
鷲田康Yasushi Washida
posted2007/03/22 00:00
何が勝利の基準なのか……。
「たとえ10打数10三振でもチームが優勝すればそれでいい」
ボストン・レッドソックス入りした松坂大輔投手との勝負について聞かれた答えだった。いかにも松井らしい。決してウソではない。間違いなく松井のプレーヤーとしてのアイデンティティーは、この言葉の中に集約されている。星稜高校から巨人、ヤンキースと球界の王道を歩いてきた男を支え続けたのは、ある種、強迫観念にも似たチームの勝利への強い意識だった。チーム勝利至上主義とでもいえる「勝つこと」へのこだわり。高校野球では県予選を勝ち抜き、甲子園で頂点に立つことだった。巨人時代にはペナントレースを制し日本一を目指すことだった。そしてメジャーの世界に足を踏み入れても、この4年間は、ひたすら「ワールド・チャンピオン」という目標に向かってグラウンドに立ってきた。だから「10打数10三振でもいいんだ」と松井は言ってしまう。
だが、それでいいのだろうか。
チームが勝つために何ができるか。それこそ松井の追い求めるスタイルのはずだ。ならばチームが勝つためには、最大のライバルチームに加入した新戦力は打たねばならない。それこそ「勝つこと」という唯一無二の目標達成のために、松井が跳ばなければならない大きなハードルであるはずだ。
10打数1安打でもいい。だが、レッドソックスとヤンキースがペナントをかけた大一番で、その1本の安打を打てるのか、打てないのか。そこに松井のいう「チームの勝利のために何ができるか」というプレーヤーとしての価値は生まれる気もする。
その問いを松井は珍しく厳しい表情で遮った。
「僕は野球で個人的な優劣を決めようと思ったことはないから、これはホントに!」
ちょっとイラついた口調で、言葉は続いた。
「僕、野球をそういうスポーツだと思っていないし、野球でそういう風に考えるのは好きじゃない。だから誰に勝ったとか、誰に負けたとか、そういうことは全く考えたこともないし、考えることもない」
18.44メートルを隔てた対峙の中で、「打った」「打たれた」という結果はもちろんある。だが、その対決すべてが、必ずしもチームの勝敗を切り分けるものではないということだ。それが、松井のこの発言の裏側にはある。
「僕はただ単にヒットやホームランを打つことを目標に野球をやらない。そういう気持ちで打席に立っても、経験的にいい結果が出ないというのもある。むしろチームが勝つために打席に立つという意識の方が自分のパフォーマンスにプラスになってきた。だから個々の対決でどっちが勝ったとか、どっちが負けたという視点は入り込む余地はないんです」
10打数10三振も、10打数10安打も、結果は結果として冷静に受け止める。しかし、その結果をもって、2人のどちらかが勝り、どちらかが劣ったという評価はあり得ない。ただ1つ。チームが世界一の座につくことができたか、どうか。松井が戦うのは松坂でもイチローでもないということなのだ。あえて戦う相手を求めるとすれば、世界一に登りつめるために対戦するメジャーの全投手であり、プレーヤーたちかもしれない。
「だから松坂くんがレッドソックスに入ったことも、他の(日本人)選手のことも、僕にはあまり刺激にはならないですね。彼(松坂)が力を出し切ったらレッドソックスにとっては、素晴らしい戦力になると思います。でも、彼に対してはレッドソックスのシリングやベケットと同じ視点でしか見ることはない。過去の対戦ですか?― 僕が対戦したのは大昔のことだから、やっぱり新しい松坂君の姿をみて、色々と考えていくことになると思います。ただ、その見方は他の投手と同じだと思う」
それが松井の立ち位置だった。松坂もワン・オブ・ゼム、対戦する幾多の投手の中の一人でしかない。連日、報道陣が書き立てる“フロリダ狂想曲”の輪に、背番号55はきっぱりと背を向けている。静かに自分自身のやることを地道にやっていく。そういう強いオーラが、喧騒が激しくなればなるほど、松井の背中からは立ち上っているように見えた。
「162試合、きちっと試合に出る準備を整えて、グラウンドで自分のできることをきちっとやる。それしかないんです。だって、やっぱり厳しいんですよ。勝つことは。この4年間、色々な意味で、チームには欠けていたものがあったわけだから。どうしても勝ちたいって、ベンチに入っている全員が思ったかどうか……。そういう強い意志が少しでも欠けたら、世界一っていうものにはなかなか手が届かないということがよく分かった。だからまず自分自身が、そういう気持ちでずっと試合に出続けられるかしかない」
年明けから、フォームを少しいじった。
左手首の骨折から復帰した昨年9月には、両足を少しガニ股にしてひざを折るクラウチング気味のフォームで打席に立った。
「去年は手首を骨折して、戻ったときに手首に意識がいきがちになるような気がしたんです。だから、それをいき過ぎさせないために、逆に下半身に意識を持っていったという感じで、あのフォームになったんですね。今は手首に何の問題もないから、特に下半身に意識を持っていく必要もなくなっているんですよ。だからこのキャンプでやっていることは、去年、一昨年と特に変わりはないですね。ケガしたことが尾を引くこともない。過去のことだし、野球のプレーをする上では、それが何らかの形で精神的、肉体的に影響を及ぼすことはないと思います。
結局、去年は骨折して、4カ月ぐらい実戦から離れて……。あれだけ大きなケガをしたのは、初めての経験だったし、それに対してどういう意識になっていくのかというのも手探りだった。いま思えば、やっぱり去年は去年だったんです。特別なシチュエーションだった。そういう意味では根底ではつながっているのかもしれないけど、今のバッティングと去年のバッティングはまったく別物のように思えますね」
1年目が終わった時点では、左方向に強い打球を打てるようになることが大きなテーマだった。課題を克服することにより、2年目には打率2割9分8厘、本塁打31本、108打点まで数字をあげることができた。
この時点で「メジャーである程度、通用するバッティングはできたと思う」と松井は語っている。メジャー打法の原型は出来上がった。この世界で生き残っていくための最低限のものは手に入れたということだった。
「1年目、2年目はそういう課題、テーマというのがあったけど、今は、自分がレベルアップしていけば、それなりに対応できるというのはある。だからキャンプでも、特別このテーマというのはないですよ、正直言って(笑)。今はあるものをどうやって全体的にレベルアップしていくかということがテーマといえばテーマかな。このキャンプの間も、今、自分は何をすればいいかなって考えているだけですよね。今、自分が感じてることに対して、どうやっていくかってことですよね」
ボールを出来るだけ近くまで引きつけて、軸をしっかり保ってコンパクトに、力強くバットを出す。単純明快なこの作業だが、一つ一つの動きを考えれば、テークバックのバットのひき方から両足への体重のかけ方、バットの軌道やタイミングのとり方など、様々なテーマはそのつど生まれる。そうした一つ一つの動作の中で、テーマをみつけて修正を加えていく。それがここ2年、松井のやり続けていることなのだ。そうした地道な細かい作業は、キャンプだけではなくシーズン中も続き終わることはない。
「日々なんですよ。だから極端に言ったら1球、1球なんです。その中で色んな感覚をつかんでいって、それでレベルアップしていけばいいかなという感じですよね。そういう意味では、今はバッティングというものを、全体像としてはとらえていない」
基本は出来た自信がある。後は枝葉を整えていけば。
幹は出来上がっているという自信はある。あとは日々の中で枝葉をいかに精緻に作り上げていくか。去年からはその作業が、バッティングへの取り組みでの最大のテーマだった。逆に言えば、それだけ松井のバッティングは、これからは大きく変わることはないということでもある。ベーシックな部分ではほぼ完成したものになったということなのだ。
もちろんキャンプでは、個々の技術的なレベルアップとともに、生きたボールに自分の目と体をアジャストさせていくという作業も大きなウエートを占める。2カ月余のオフの間に、眠っていた感覚を再び揺り起こす。2月から3月にかけてのこの時期は、その作業に没頭するだけだった。
そうして松井のメジャー5年目は静かにスタートを切った。
(以下、Number674号へ)