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田臥勇太 「どの道を選んでも正解にすることは出来る」
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byShinji Kitayama
posted2008/10/23 20:59
田臥勇太は慎重な人間だ。物事を決めるときにはじっくり考え、自分が納得しないと動き出さない。『石橋を叩いて渡る』という表現があるが、田臥は石橋を何度も叩く。時には叩きすぎて橋を壊してしまうことすらある。
その一方で思いがけず大胆なことをやってのけることもある。先ほどの喩えで言うと、石橋を叩き割った後でも川の向こう側に行くべきだと判断すれば、幅広い川を飛び越えてでも向こう岸に行こうとする。
そんな喩え話をすると、田臥も否定はしなかった。
「それはありますね。(一度決めたら)渡ろうとしますね。そのへんは頑固です。もう少し判断が早かったらまた変わっていたこともあるかもしれない。でも、結局そこは自分で責任を取るしかないと思っています」
リンク栃木ブレックスが田臥の代理人に最初に連絡を取ったのは今年春、4月か5月頃のことだったという。JBLに昇格したばかりのブレックスにとって、田臥は実力と経験、そして人気の面でぜひ欲しい人材だった。
「正直、今年は彼を取れるとは思ってもいなかったんです」と、ブレックスのGM、山谷拓志は言う。「でも、取れる取れないは別にして、欲しいか欲しくないかと聞かれたら欲しいですよね。それならアプローチしてみないと本人の考えもわからないですから」
実は、この「欲しいならアプローチする」という姿勢も、田臥がブレックスに好感を持った理由のひとつだった。
「向こう(アメリカ)でプロとしてやっていたら、欲しかったら声をかけてくるのは当然。そういうところが、とてもプロフェッショナルな印象を受けました」と田臥は振り返る。
そんなブレックスの姿勢に、このチームならアメリカで当たり前だったことを当たり前と受け止めてもらえるかもしれないと感じた。
実際、プロチームであるブレックスの考え方は、他の実業団チームとは違っていた。田臥の契約には、NBAやヨーロッパのチームなどから誘いがあった場合はシーズン途中でも移籍可能という条件が盛り込まれていたし、開幕直前に加わり、ことによるとシーズン途中でいなくなるかもしれないことを前提に、それでも快く田臥を受け入れた。そういったことを受け入れてくれるチームでなければ、いくらプレータイムが欲しくても、たとえ高校時代の恩師、加藤三彦がヘッドコーチ(HC)でも、田臥は帰国を決意していなかった。
とはいえ、契約オファーが届いた当初は、まだブレックスは田臥の選択肢には入ってもいなかった。「今年はヨーロッパに行きたかったんです。ヨーロッパのバスケットを経験してみたかった」と田臥は言う。