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テニスとともに生きた宮城黎子さんを悼む。 

text by

吉松忠弘

吉松忠弘Tadahiro Yoshimatsu

PROFILE

photograph byHiromasa Mano

posted2008/08/07 00:00

テニスとともに生きた宮城黎子さんを悼む。<Number Web> photograph by Hiromasa Mano

 宮城黎子さんがガンのため、86歳で亡くなった。驚いた。2、3年前に倒れ、闘病生活を送っていらしたとはいえ、回復に向かっていたと聞いていた。それに、テニスに対するバイタリティを目のあたりにしていただけに、黎子さんと「死」がどうしても結びつかなかったのだ。1922年に田園調布にある田園テニスクラブ(以前、日本のテニスのメッカといわれた田園コロシアムがあった)そばで生まれ、そのクラブで腕を磨いた。全日本選手権でシングルス10度の優勝、ダブルス、混合も合わせると30回の優勝は、史上最多である。'63年のシングルス優勝は、実に41歳の時だ。弟の淳さんも、'55年全米のダブルスで日本男子として史上2度目の4大大会制覇を成し遂げたテニス一家だった。

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