炎の一筆入魂BACK NUMBER
40回以上の逆転はなぜ生まれたか?
石井琢朗がカープに施した打撃改革。
posted2016/09/13 11:40
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
NIKKAN SPORTS
9月10日、スタンドの半分が真っ赤に染まった東京ドームで、広島の25年ぶり優勝が決まった。選手たちがマウンドに向かって駆けていったベンチで、緒方孝市監督がコーチ陣と握手、握手……。すると両手でハイタッチしたあとに、石井琢朗打撃コーチは指揮官の胸に飛び込んだ。
顔をくしゃくしゃにして、泣いていた。
得点力不足と言われた昨季から、石井コーチは2人の打撃コーチとともに打撃改革に踏み切り、“ビッグレッドマシンガン”“逆転の広島”と呼ばれる打線を作り上げた。決して簡単ではないミッションを果たした男たちの涙だった。
昨季終了後、担当が守備走塁から打撃に変わった。守備でも、走塁でも、やり残したことはあった。ただ、それでも球団からの打診に首を横に振れなかった。託された使命の重さは分かっていた。新チームの命運を握る大命題を託された責任感を、強く感じた。
打撃担当のコーチ陣に、まったくブレがない。
打撃を担当する他のコーチ、東出輝裕と迎祐一郎との三位一体で打撃改革を進めた。まず秋季練習で選手の現状を把握し、それぞれの方向性を導き出した。東出や迎が指導した選手には、石井からは基本何も言わない。
「同時に2人から言われると混乱してしまうことがあるからね」
常に2人とは打撃論をかわし、選手の現状や方向性を確認し合ってきた。3人の考えや指導方針にブレはない。
土台作りと位置づけた秋季キャンプでは1日800から1000スイングを課し、まずは素振りで振る力をつけ、春季キャンプではより実戦的な打撃を取り入れた。春季キャンプでは、打撃内容をより厳密に評価。「◯安打」という単なる結果の評価ではなく、ボテボテの内野ゴロでも走者を進めればそれを合わせて評価し、犠牲フライを打てばそれをまた高く評価した。反対に無死二塁や1死二塁で三振すれば、厳しく指摘した。
まずは、簡単に三振しないという基本から伝えた。
単に「三振するな!」ということではない。
ベストではなく、ベターを求めろ、というメッセージに近い。