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【動画】「たまに強く言われるときも…」早稲田大・尾形樹人が明かす須江航監督との二人三脚と“配球サイン”が消えた試合「知らないうちに日本一に」《特集:仙台育英②》
5回目のシリーズに登場するのは、2022年にその「白河の関越え」を果たした仙台育英OBたち。指揮官・須江航のチームの強さの源はどこにあったのか。当時2年生ながら正捕手を務め、名門・早稲田大学でも扇の要を担う尾形樹人捕手に話を聞いた。《高橋煌稀投手の動画インタビューもこちらで公開中。他にも当時の仙台育英・優勝メンバーを取材予定です》
父が仙台育英野球部の出身で、母と姉も卒業生だった。尾形樹人にとって、ここで野球をすること以外は考えられなかった。
高校に入学した時点で尾形には覚悟が備わっていた。事前に調べていた通り、監督の須江航は独自の視点から野球を捉える指導者だった。バッターなら「出塁タイプ」「長打タイプ」と特徴別に選手を振り分ける。メンバー選考では結果がすべて。重圧はあったが、現実から逃げるわけにはいかなかった。

「『結果を出さないと自分の高校野球人生が終わってしまう』って感じでやっていました」
出塁でき長打も放てる「中間タイプ」だった尾形は1年生の秋からレギュラーとなり、中軸から下位と与えられた役割をこなすことで監督からの評価を高めた。
主力として試合を重ね研鑽を積めたのが、キャッチャーの配球面だった。中学までの尾形は「三振を取ろう」といったように完璧を求めていたが、バッターを抑える過程での根拠が希薄だったという。
確率論に基づいた合理的な考えを持つ監督と意見を戦わせる日々。2年生の夏を迎える頃には試合中に監督から出される配球のサインも次第に減り、「大事なときに見てくれればいいから」と須江の信頼を得られた。
「あんまり選手に介入してくることはなくて、外から見て評価する感じなんですけど、周りをちゃんと見ている監督だなって」

尾形が2年生だった2022年と言えば、小学生からバッテリーを組む髙橋煌稀をはじめ、「140キロクインテット」と呼ばれた投手陣が夏の甲子園を席巻した。5人もの個性をリードしたことについて、尾形は「苦にならなかった」とあっけらかんとする。
「一人ひとりの特徴を理解してやるだけだったので。自分の球をしっかり投げてくれれば、高校生なら抑えられるだろうって」
「名前が知られた分、『やらなければならない』」
東北勢として初の日本一となった甲子園。4割3分8厘と個人でも好成績を残した尾形は「全部うまくいきすぎた」と、高校野球史に刻む偉業に実感を持てずにいたという。
むしろ大学野球の名門である早稲田大でプレーする今、その重みと真摯に向き合う。
「ここで消えてしまったら『尾形は終わった』という感じになってしまうので。名前が知られた分、『やらなければならない』という気持ちがすごく強くなっています」
神宮の杜で名を上げれば上げるほど、観衆は嘆息を漏らす。やっぱり尾形はすごい、と。

動画では以下のような話題についても語っています。
- 進学の舞台裏「煌稀はプロに行くと思っていた」
- 「野球は陣取りゲーム」独特の須江野球
- 仙台育英で構築された〝配球論〟
- 「夏が終わっていたかも」痺れた勝負とは
- 東北勢初の日本一と「青春は密」秘話
- 早稲田野球は高校よりも〝高校野球〟の真意
- 選手から見た「監督」とは?
高校時代は正捕手として最強投手陣を支え日本一に。早稲田大でも主力となった尾形樹人選手が語る「仙台育英野球」とは。約25分間の動画インタビューを是非ご覧ください。(2026年6月4日取材)
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